哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

マインドフルネス瞑想は、予想通り、一過性ブームか

9月23日の記事「マインドフルネス」で、昔見たNHKスペシャル キラーストレス 第2回「ストレスから脳を守れ」の感想を書いた。 このNHKスペシャルと前後してガッテンでも関連番組をやっていた。 瞑想は疲れた海馬を休ませて、ストレスやボケを改善し健康に役…

「楢山節考」木下恵介版

「楢山節考」は、学生時代に観て最も衝撃を受けた映画。 二つの映像が今も脳裏に焼き付いている。一つは、おりんが石で自分の歯を折った血だらけの口でニタと笑うシーン。二つは、雪の中で座っているおりんが、戻ってきた息子に無言で(いねいね)と手を振る…

八千草薫さんが亡くなられた

多くのニュースで、「岸辺のアルバム」「宮本武蔵」「ディア・ドクター」「くじけないで」などが代表作として紹介されてる。もちろん秀作ではあるが…… おれが、八千草薫さんで、強く印象に残っているのはわりと初期の出演作 『ガス人間第1号』(1960)だ。 …

ギフト。包装紙が違うけど中身は同じ。

どうしようもないダメな自分を丸ごと心底信じきること ←リンクあり と 機の深信がそのまま法の深信であるという、機法一体の自覚←リンクあり この二つのことは同じ内容だ。 自力と他力の表現法に違いがあるだけ。 (過去記事編集再録)

安吾と澤木老師

坂口安吾が戦時中に書いた「日本文化私観」から引用します。 …まっとうでなければならぬ。寺があって、後に、坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。寺がなくとも、良寛は存在する。もし、我々に仏教が必要ならば、それは坊主が必要なので、寺…

丸ごとの自分を心底信じきる

過去記事に何度も書きましたが、おれには仏教とキリスト教の呼応関係を見つけて喜ぶマニアックな趣味があります。 ヒルティの言葉を(幸福論第二部「人間知について」草間平作・大和邦太郎訳)から、もう少し引用します。引用文中の強調は私です。青文字がヒ…

ヒルティの言葉が、二種深信の見事な解説に聞こえる

10月17日の記事「宗教間のシンクロニシティ - 哲学日記」で、 中国浄土教の大成者善導和尚の言葉とスイスの哲学者ヒルティの言葉が、時間と空間を超えて呼応し合っていて、互いに相手を照らす関係として両者を捉え直すことができ、そうすることで理解が深ま…

映画2本。貪瞋痴を楽しみたいのか克服したいのか、どっち?

【ストーリー】より引用。劇場公開、2016年8月1日。『SEX AND THE CITY』のサラ・ジェシカ・パーカーと、『これが私の人生設計』のラウル・ボヴァが共演するロマンティック・コメディ。『キッズ・レボリューション』のスウェーデン人監督、エラ・レムハーゲ…

呼吸―思考を中断し、今ここに戻る―

今生きている人間は例外なく息をしている。自分の吸う息吐く息を意識できないほど愚かな人間などいない。 釈尊は、呼吸をただ観察することを説いた。 エックハルト・トールは博学多識で仏教にも精通している。 自分意識が錯覚に過ぎない事実とその意味を、深…

冷淡になっても粗野になっても自己は守りぬかねばならない

(ヒルティ幸福論第二部「人間知について」草間平作・大和邦太郎訳)から引用します。 愚直で厚かましい人たちに対しては、三つの自己防禦の方法がある。まず粗野であるが、これは自分の品位を落とす。次は冷淡であるが、これは人間的でなく、良心にやましさ…

変わろうとしない限り、人は変われない

映画 『コンフィデンスマン/ある詐欺師の男』 映画の冒頭、主人公の非常に印象的な独白がある。 「同じことを繰り返していたら、人は一生変わらないままだ。 変えようとしない限り何も変わらない」 これが映画の中で何度か出てくる。 エンドロール直前のラス…

ブッダの見事な入滅とピノの静かな死と、人間の無残な死

ブッダは遺言として一代の説法の真髄を簡潔に説き 汝等比丘、常に当に一心に出道を勤求すべし。一切世間の動不動の法、皆な是れ敗壊不安の相なり。汝等且く止みね。復た語を得ること勿れ。時、将に過ぎなんと欲す。我、滅度せんと欲す。是れ我が最後の教誨す…

急に景色がクリアになる体験

(ブッダの言葉 マルク・ドゥ・スメト編 中沢新一+小幡一雄訳)より引用します。 ……自分の心を整えようとする者は、何の像も映らなくなった、汚れた鏡を持っている人に似ている。 その人が鏡を磨くと、汚れがとれて、そのとたんに鏡には、はっきりとした像が…

冥途のみやげ覚知

おおむね平和な家庭の中でたいした波風もなく、親も長生きをし子供にも恵まれ、生活にも貧しさを感じない人達は、ブッダやイエスキリストや、あるいはトルストイや親鸞のことを内心どう感じるでしょうか。 リッチな生活と王位継承と妻子を捨て無一物の修行者…

宗教間のシンクロニシティ

(ヒルティ幸福論第二部「罪と憂い」草間平作・大和邦太郎訳)より引用します。 「主よ、わが罪の深さをあらわしたまえ、しかしあなたのみ恵みの深さをもお示しください。」(同胞協会賛美歌526番)。この言葉のいずれか一方がなかったならば、人は絶望に…

世の中を暗くいやらしくする獣的人間

昔、職場で 「何を言ったかじゃなく、誰が言ったかで判断する人間は最低だ!」 と怒ったことがある。 周りの反応は鈍いものだろうと、言う前から予想はついたが、それでも言ってしまうときもあった。 武田邦彦先生のエッセイ「何を言った」より「誰が言った…

自行が先

自みずから昧くらくして他を照らすことなし (興教大師 一心自覚頌) 先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。 そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。 (ブッダの真理の言葉12・158中村 元訳 強調は私です) 他人に教えるとおり…

滅びに至る多くの人々のために嘆いたりはしない

(聖書 エズラ記6・33,34 新共同訳)より引用します。 信頼せよ。恐れるな。今の時代に焦ってむなしいことを考えるな。 そうすれば終末の時が来ても慌てることはない (引用終) 『終末の時』ってなんだろう? それは、人類全体にもいつか来るだろうが、個人…

善人とはどいう人間か

善人とは 自分が悪人だという自覚がない 悪人のことだ。

選択の余地がないという安心

(ブッダ 神々との対話Ⅱ2・7中村 元訳)よりブッダの言葉を引用します。 さとりに至る実践の修養のほかに、感官を制御することのほかに、一切を捨て去ることのほかに、生ける者どもの平安を、われは認めない。 (引用終) 事実は、恐ろしく厳しいものなわけ…

昔の小説「五重塔」

じつは、「五重塔ごじゅうのとう」(作:幸田露伴)という古い小説が大好きです。 露伴は骨太で饒舌という、現代小説家にはない面白さがある。露伴の娘の文、その娘の玉、そのまた娘の奈緒と文学者が続き、「だんだん小粒になっていく」と批評されると、奈緒…

ショーペンハウアーへのワケわからん紋切型批評

ショーペンハウアーを扱き下ろす三木清の言葉を引用します(「語られざる哲学」より) 生の無価値にして厭うべきことを説きながら、自らは疫病を恐れて町を飛び出したり、ホテルでは数人前の食をとったり、愛人と手を携えてイタリアを旅した彼の哲学は、イン…

人が所有できるのは、した行為の結果だけ

瞑想に励んで、ついに非想非非想処ひそうひひそうじょを体験するよりも、 諸悪莫作 衆善奉行しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょうの教えひとつを信じて生きるほうがはるかに優れていると、おれは思う。※『非想非非想処』釈尊が出家してすぐに到達したきわめて…

イギリス映画「ミス・シェパードをお手本に」

[ストーリー]より引用。 …北ロンドン、カムデンの通りに止まっている黄色いオンボロの車で暮らすミス・シェパード。近所に引っ越してきた劇作家のベネットは、路上駐車をとがめられているミス・シェパードに声をかけ、親切心から自宅の駐車場に招き入れる。…

怖すぎる旧約聖書

旧約聖書の言葉を。 (イザヤ書45・6~10 新共同訳)より引用します。わたしは主、ほかにはいない。光を造り、闇を創造し平和をもたらし、災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである。 ……災いだ、土の器のかけらにすぎないのに 自分の造り…

君は何を守ってる?如実知見の薦め

学生ドータカが釈尊に訴えた。(ブッダのことば5・6 1063,1064 中村 元訳)より引用します。 (学生ドータカ)…あまねく見る人よ。わたしはあなたを礼拝いたします。シャカよ。わたしを諸々の疑惑から解き放ちたまえ。(釈尊)ドータカよ。わたしは世間にお…

わたしが説かないことは説かないと了解せよ

(ブッダの感興のことば29・5中村 元訳)より引用します。 (経験するものを)実質のある物だと思って、走り近づいて行くが、ただそのたびごとに新しい束縛を身に受けるだけである。 暗黒のなかから出て来た蛾が(火の中に)落ちるようなものである。 かれら…

在宅出家 人生はかくのごとくシンプル

ターン・プッタタート家で出家する(在宅出家の仕方)より引用させていただきます。 雌鶏はね、卵を温める時しっかり温めるだけで、ヒヨコが生まれることを考えません。雌鶏は自然な方法で正しく卵を抱き、土を引っ掻いたり、卵を抱いたり、向きを変えたり、…

托鉢するブッダと労働する農夫の緊張感ある対話

(スッタニパータ1・4概略) あるとき釈尊は、托鉢(たくはつ)に出て、手広く農業を営んでいるパーラドヴァージャというバラモンに近づき、そばに立った。 パーラドヴァージャは、食を受けるために立っている釈尊に告げた。 「沙門よ。わたしは耕して、種をま…

自分を信じない者は、誰も愛せない

私が隣人を愛していることを知るのは、その人から侮辱を受けた後でも、その前に劣らず彼を愛している時だけだ。なぜなら、侮辱を受けてから彼を前より愛さなくなったとしたら、わたしは前に彼を愛していたのでなくて、わたしを愛していたのだということを、…