哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

思春期に別の世界にワープした?

以前「思春期も脳進化」というニュースに 知能指数(IQ)は思春期のころにかなり変化し、対応して脳の構造も変化することがロンドン大学の研究でわかった。20日付の英科学誌ネイチャー(電子版)に論文を発表した。 IQは一生であまり変化しないと考え…

勝利の経…なぜでしょう

以下のブッダの教えは、古来 勝利の経 と呼ばれてるんですよ。 さて、なぜでしょう。 193 或ある いは歩み、或いは立ち、或いは坐り、或いは臥し、身を屈め、或いは伸ばす、―これは身体の動作である。 194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗…

これはという人物は皆、同じことを教えてるんだが……

スティーブ・ジョブズがスタンフォード大卒業式でしたスピーチは素晴らしい。 しかし、本気で受け入れる人はものすごく少ないとおもう。 改訂・スティーブ・ジョブズ・スタンフォード大学卒業式・オナード・ゲスト・スピーチ・2005年 - YouTube このスティー…

臭いものは元から絶たなきゃダメ

(ブッダの真理のことば344 中村 元訳)から引用します。 愛欲の林から出ていながら、また愛欲の林に身をゆだね、 愛欲の林から免(のが)れていながら、また愛欲の林に向って走る。 その人を見よ! 束縛から脱しているのに、また束縛に向って走る。 (引用終…

「この世界は現実じゃない」の禍福は自分持ち

活力溢れた人間が 「この世界は現実じゃない」 という叡智に触れると救われるが、 そうでない人間が触れると破滅する。 (My Favorite Songs) Upside Down - DIANA ROSS '1980 (過去記事統合増補編集再録)

なんちゃって今日生、今生ではダメ

自分の心ほど、 自分を欺くことにおいて 抜目ないものは他にない。 おれの「今日を生きる。今を生きる」は、 裏に「明日もあるけどね」を隠している。 だからダメなんだ。 そんな半端をするくらいなら、 はっきり「明日があるさ」 で生きるほうが まだなんぼ…

カウンター世間話

世界には昔から「苦は楽の一部分」という、事実に反する世間話が根強く流布している。 ブッダは人類史上初めて 全てはドゥッカである(一切皆苦) という、事実そのものを示した。 しかし残念ながら事実を示すことでは、事実に反する世間話は消えなかった。 …

小人下達

子の曰わく、 君子は上達す。 小人は下達(かたつ)す。 孔子 論語 憲問14-24 下達を上達とみなすのが平均人の特徴だ。 他者を操り、自分の欲望に従わせることができると 「自分もずいぶん上達した」 と自賛するが、実際は次第に下達しているだけだ。 下達は悪…

究極善の強要は究極悪になる

[200824追記] 空気を読んで周囲に和合する集団主義が、個の確立が未熟な場合に、究極の悪に劣化する可能性について。 [追記終] 捨身(しゃしん)は究極善だが、 強要すると究極悪になる。 薩垂王子は、餓死寸前の妊娠した虎を見て、ただちに自分の体を与え…

最後の直弟子スバッダの無益な質問

須跋陀(スバッダ)は、釈尊最後の直弟子として有名な人だ。 ウィキペディアをみると 「彼はクシナガラのバラモンであった。遍歴行者で、四ヴェーダに通じ、聡明多智で五神通を得て、非想非非想定を得ていた。」 「彼は、釈迦仏が近々、涅槃に入られんことを聞…

ブッダとキリストの間なら、コミュニケーションがとれる

他人とコミュニケーションをとるのはほぼ不可能だとおもう。 「ブッダとキリストの間なら、コミュニケーションがとれる」←このレベルのことを、簡単にできるかのように装えば、毎々苦い後味が残るのは当然だ。 たとえ共同幻想に首まで浸かろうと、気分良く夢…

メモ

大乗仏教徒は教相判釈と称して、釈尊の教えを小乗と貶め、みずからの主張を醍醐に喩え大乗と自画自賛している。 自分たちに都合の悪い一切皆苦を傍らに追いやり、無我を大我にすりかえ、如来蔵・仏性を説き本覚に落ちて修行を無意味にし、あげくに世間法即如…

未来永劫いじめがなくならず戦争がくりかえされる

自己の内に本当に応答してくれる他者が存在し、周囲の人間に逆に存在しなくなる。そのとき、人間は本来こういった無所属のものだな、ということが実感されるのである。 (無所属の時間「二度の死」より 山本七平) 山本氏が、末期癌だと周囲から誤解された体…

人生が無意味だからこそ真の救いはある

大多数の人々は事実と真正面から向き合うことをしない。 あらゆる問題を解決するには、常に例外なくそうするしかないのに。 その代わりに、こうあって欲しいという、事実に反する幻想を望む。 すると中途半端な商売人が、すぐその空気を読んで、人々の望みど…

いざとなると理性的でも合理的でもなくなる現代人

ここにある教祖が現れる。その身体からは光を発し、断食し空中浮遊など種々の超能力を見せ、博学で豊かな文学的才能を示す。 現代人は、ふだん昔の人々より理性的だと自負しているが、こういう輩に手もなくひねられるとおもう。 現代人はいざとなると、理性…

一切智 一切智者

一切皆苦は釈尊の教えの出発点だ。 ここにまず立たない者には、そもそも仏教が始まらないという意味で、釈尊の教えの事実上の核心でもある。 世間は一切皆苦が事実であることを全然知らないが、その問題は以前に何度か書いたので、今は措く。 ※ 参考 20/7/27…

他者を理解できるか

シーザーを理解するには、シーザーである必要はない このエピグラムは「理解」ということを浅く考えた場合のみ正しいとおもう。 おれのスタンスだと、こうなる。 シーザーを理解するには、シーザーである必要がある。 しかも、それだけではまだ十分ではない…

メモ2つ

1 自分が好きなこと、楽しいことをやっている最中に「今今今」とやると能率的効果的だ。(呪文にならないよう、実感を失わないよう綿密な注意をもって) 2 大乗仏教は「人を救うために、あえて輪廻転生する。これが正しい人の道」という本音をチラチラ漏ら…

行きつくまでのサティは坂道を登るよう

サティは長く連続的にやらないと 本物にならない。 昔の歌「ダークダックス 銀色の道」に ♪苦しい坂だが止まれば下がるボンボボボ♪ てのがありました。 サティは急な坂道を登るようなもの。頂上に行けば一服してだいじょうぶだが、途中で一服するとその度に…

サティの実践は、ダブルタスク脳を作る一大事業

1 サティの実践は、なにかをやりながら同時にそれを意識でトレースするダブルタスク作業だ。 2 人間の脳は、ダブルタスクではない(一度に二つのことを同時にできない)。 3 コンピュータは、1個のCPUでも、1秒を非常に細かく分割して二つの作業を交互…

「サティのために生きる」というスタンス

人はただ念仏しやすいように生きるべきだ と法然上人は明言している。 普通は「人生のための念仏」と思いこんでいるが、それは間違いで「念仏のための人生」でなければならないとの教えだ。 この人生に対する非常識なスタンスが、極めて重要だとおもう。 お…

極上の生き方

普通の人間に正邪善悪なんて判りっこない。 だから、おれは昔から損得しか頭にない。 損得ならなんとか判る気がするからだ。 澤木老師の教えに 得は迷い。損は悟り。 とある。 釈尊の教えに 世間は顛倒している。 とある。 得が実は損で、損が実は得というこ…

小津が映画「お早よう」で到達した日本思想

小津安二郎監督による37作目の作品『淑女は何を忘れたか』(1937年公開) What Did the Lady Forget? / 淑女は何を忘れたか (1937) (EN/ES/TR) この時期の小津作品には、まだ観客への迎合が残っている。 はっきり言ってしまえば、客を上から目線で見下してい…

日記ほぼ丸写し

ネタ切れです。 今日の記事は、さっき書いた日記ほぼ丸写しです。 悪しからず。 2時過ぎ就寝7時前起床。 食パン1枚、玉子焼きの具でオープンサンド朝食。 今日も朝から非常に蒸し暑い。 チャリで月一の※内科へ。 いつも空いてる10時頃を狙って行ったが、なぜ…

無能に生れた幸福

空気を読むとか、人心懐柔テクニックとか、煩雑な金勘定とかの能力発揮は、世間で自分が大事に扱われ、職場で出世するためには必須だが、実はどうでもいいことだとおもう。 そういうことにはむしろ、ある程度の無能を装う必要さえある。 すると 世間から軽く…

「ハンコック」

洋画を見る 「ハンコック」 映画 ハンコック 予告編 基本的に「大日本人」のパクリだとおもう。 とはいえ、万人受けする娯楽作品に仕上げるハリウッドの完成されたシステム(水戸黄門の印籠のように、後半ワンパターンの男女愛でまとめてハッピーエンド)は…

聖徳太子の選択本願

 過激な選択思想は法然上人のアイデアだとおもっていたが、聖徳太子という先駆者がいた。 仏教から大胆に和合の教えだけ選択している。 もちろん仏法の第一義が、人の和であるはずはない。 しかし、まさにその確信犯的なわざとのズラシに、この選択というア…

人生のタイムリミットと優先順位

納屋の片づけをしたら、大昔読んだ本を詰めたダンボール出てきて、中にフロイトの「精神分析学入門」もあった。暇だし、ちょっと拾い読みする。 フロイトは、世間が物忘れやしくじり行為に意味はないとみなしているのは間違いで実は意味がある、と主張してい…

とっくの昔に言われてたんだ、方法的信

以前真理発見法「方法的信」について、次のように何度か書いた。 190925「デカルトとブッダの関係」より抜粋再録します。 真理発見法には、デカルトの「方法的懐疑」以外に「方法的信」とでもいうべき道もあるはずだ。「方法的懐疑」も危険だが、さらにその…

禅寺の食事

おれは昔、少しの期間だが坐禅をするため仕事帰りや休日に禅寺に通っていた。 【初めての坐禅】全編 通いはじめて1年以上経ち、泊めてもらったりもしたが、誰からも一度も名前すら訊かれなかった。 おれだけでなく、この寺ではそれが普通のようだった。 これ…