哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

2006-08-01から1ヶ月間の記事一覧

生きとし生けるものの惨状

遺伝子のプログラムに支配され、殺し殺される修羅場を演じさせられて、一生を終えるほかない、生きとし生けるものの惨状を 「それぞれが生命を捧げあっている。大自然のなんと見事な秩序だろう」 と人間が認め、賛嘆までしてしまうとは。 この世は、遺伝子の…

全知全能の神

全知全能の神は、昔の人間に必要だったから作られた道具だ。 今は、昔ほど必要とされていない。 遠くない将来、もう一度必要になったとき、 人間は、リニューアルした神をやすやすとでっち上げるに違いない。 しかし、神が最初に発明されたときからそうであ…

大人

心は、猿のように外界に飛び出して、あそこにいるかと思えばここに飛び、ここにいるかと思えばまた別の場所に飛んでゆく。 この猿を、しっかり自分の内面に縛り付けておく練習。 この練習を楽しんでやれるようになって初めて、大人だ。 世間では、子供が年を…

正念相続はどうして不可能ではないのか?

『正念相続』は、どうして不可能ではないのか? もし人生が、泣かないでいられないほど辛いこと悲しいことが、本当に起こるものなら、人生の最重要事項『正念相続』は誰も守れるわけがない。 しかし、この人生は夢、幻のたぐいに他ならない。 そのおかげで、…

自業自得果

人間は、思うさま良いことも悪いこともなし得る。 しかし 究極の正義は一瞬たりとも空しくなることがない。 いかなる法律や道徳よりも、厳密で正確無比の 『自業自得果の法則』 があるからだ。 https://philosophy.blogmura.com/buddhism/ ← にほんブログ村 …

有終完美者

我々は、さあいよいよ死ぬというその時、例外なく実に悲惨な有様になる。 だれ一人、有終完美者にはなれない。 国王、大臣、権力者、億万長者、有名人、美人、スーパースター、学者、芸術家、武道家、苦行者、霊能者、宗教家、超能力者、いずれもいずれも、…

自由…か?

人間は、生れさせられ、殺される。 人生は最初と最後が、100%不自由だ。 では自殺者は?自分で自由に死ぬのでは? 自殺は不自由だ。 生きたいのに、生きることができなくなった者だけが、やむを得ず自殺する。 けっして、望んで死ぬのではない。 自殺者…

スッタニパータ

今日は、スッタニパータで最も好きな一節を。 「あたかも、母が己が独り子を身命を賭しても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし。…… 立ちつつも歩みつつも座しつつも臥しつつも、眠らない…

人類のワンサイクル

無意識の意識化、それをさらに無意識化する…これがワンサイクル。 これを何度も繰り返すのが、人類の運命なのかも知れない、とおもう。 無意識の意識化は、困難で偉大な事業だ。 しかしそれだけでは、結局どうしようもない。 救いのためにはその後、意識の無…

吉本隆明「良寛」

「親鸞の解釈の仕方によりますと人間は具体的に生きているとか死んでいるとかいうところ、つまりその人がその人であるというところでは人間は本質的な存在ではない、というのです。これを現在のいい方でいえば、人間はいつも現に存在するところのものではな…

方法序説

方法的懐疑について。 優れた教育者は歴史と経験に学び、「信」が、人の欲望の仮面に過ぎない場合のいかに多いかをよく承知している。 そして、偽物の「信」が甚だしく自他を傷つけることを知って、徹底した懐疑こそ教育の基礎だと認めるようになった。 すぐ…

チューラパンタカ

君の肺腑から出た事でなくては、人の肺腑に徹するものではない。 (ゲーテ「ファウスト」) おれは、発言するとき、このことひとつだけを墨守する。 (他人に受け入れられるには、これは言わないほうが…)などと心配することはない。 ゲーテのような、釈尊の…

人間の特殊な運命

休みなく生成を繰り返す自然の圧倒的な豊饒性に魅惑され、その大きな謎を謎のまま賛美し受け入れるだけなら、獣だってそうしているではないですか。 しかも、人間のように言葉だけでなく全身で。 獣にとっては、それは当然です。 それ以外の在り様がないので…

田中小実昌

今日も思いつかないので、読書の感想でも。 「あなたはパウロに現れたりしたのに、どうして、私に現れないのか」 と父がけんかするみたいに言っている(祈っている)のを、母はなんどか聞いたそうだ。 (田中小実昌『アメン父』) 気持ちは痛いほど分かる。 …

ショーペンハウアー6聖者

聖者の境地は、聖者にしか分からない。 と言ってしまえば、話はここで終わってしまう。 ショーペンハウアーの力を借り、無理に想像して書いてみよう。本気にしないように。 真に根源からの反省と批判がはっきりと現われるのは、肯定された意志の自己否定とい…

ショーペンハウアー5「野心家」の最終形

今日は、なにも思いつかない。 ので、またショーペンハウアーに戻ります。 「野心家」の最終形について。 野心家は、個別性の迷妄を打ち破るにしたがって「正義の人」となることはすでに述べた。 この傾向が大詰めまで進むといかなることになるであろうか。 …

絶望はあたりまえ

人間は、まともに生きている限り、いっさいの希望を持てなくなるときが来るのはあたりまえだ。 絶望は必ず来る、自分を麻痺させない限り。 絶望したからニヒリズムに陥るというのは甘えである。 https://philosophy.blogmura.com/buddhism/ ← にほんブログ村…

ある嘘

「おれはいつ死んでも平気だ。死ぬのはちっとも恐くない」 と言う人がいる。 それは明らかに嘘だと、おれは思う。 その人が、ふだん自分が非常に尊敬している人でも、 (それだけは、いくら言われても信用できません) と思うほかない。 しかし、本人が嘘を…

八正道

今日は、おれの好きな、経典の言葉をひとつ。 「過去を追ってはならない未来を待ってはならない、ただ現在の一瞬だけを強く生きねばならない」 ついでに、八正道も。 ポイントは『正』の意味にある。 正しいとは、なにかってことだ。 正=自己に執着しない。…

筏のたとえ

釈尊に「筏(いかだ)のたとえ」がある。 人格神を奉ずるユダヤ教、キリスト教、イスラム教等の最大の弱点は、筏を捨てられないことだ。 迷いの川を渡り終えて陸路を行くときになっても、重い筏を後生大事に抱きしめて、不自由な足取りで歩いている。 重い筏と…

イエスキリストと釈尊

聖なる行為の意味を伝達するとき、イエスキリストはユダヤ教のドグマを通じて語らざるを得なかったし、釈尊はバラモン教のドグマを借用せざるを得なかった。 両聖者の教えは、まったくあいいれない敵のように(とくに厳格な一神教の形態をとるキリスト教サイ…

存在の不安

不安であることは、自分が道を外れていないことの最も確かな証だ。 そう気づくこと。 不安を否定する必要はない、それどころか否定してはいけないのだと気づく。 不安は少しも変わらず今もあるが、それが以前のように苦痛ではなくなる。 不安であることが嫌…

自分の心の分析

自分が何故そう考えるのか、何故そう望むのか、何故そう感じるのかと、自分の心の分析をしすぎないほうが良い。 あまりこれをやりすぎると、いつの間にか、 すぐに分析できる考えや望みや感じしか、心に浮かばなくなる。 世間で頭脳明晰、論旨明瞭と評判の人…

ショーペンハウアー4

さて、2番目の野心家について。 まず悪人から。 サドの小説のなかに、太い単純な輪郭で描かれる主人公たちは、正にここでいう悪人にあたる。 彼らが個別性の迷妄を毫も疑わず、自分と自分以外の存在者の間の完全な区別に固執するさまは幻想的でさえある。 …

ショーペンハウアー3

ショーペンハウアーは、1番目の平均人については苛烈な口ぶりになる。 しかし、それだけ取りあげて人類全体に対するショーペンハウアーの人間観だとするのは、誤解である。 彼の人間観の真髄は、3番目の聖者にある。 人間は当然聖者になるべきだ とショー…

ショーペンハウアー2

ショーペンハウアーは、しだいに高くなる三つの人間精神について語っていると思う。 キーワードは「生きんとする意志」だ。(以下は、おれのかってな解釈) 1 平均人(自然的人間) 生きんとする意志の肯定が動物同様に自然のままの段階。 (スタート地点は…

ショーペンハウアー

今日は、大好きな哲学者ショーペンハウアーについて書いてみる。ちょっと長くなるかも。 「国家というものは、理性を具備したエゴイズムがエゴイズムそのものに降りかかってくるそれ自身の悪い諸結果を回避しようとするための手段」である。(「意志と表象と…

人の心には実がない

聖書に 「人の心はほかの何物にも勝って実がない。誰がそれを知りえようか」 と書いてある。(エレミア書17-9) たいていの人間は、その何物にも勝って実がないものに頼って生きている。 仏陀が 「良く整えられた自己こそが唯一頼れるものだ」 と教えた…

夢生夢死

現実世界とキリスト教世界と仏教世界について。 良い夢を見ているのは、悪い夢を見ているよりはましだといえる。 しかし、人生で一番の大事は、良い夢を見ることではなく、 夢から覚めることだ。 https://philosophy.blogmura.com/buddhism/ ←(哲学・思想ブ…

そのように作られている

「陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ自分の手で壊し、それを作り直す」 (新共同訳エレミア書18,4) 陶工とは神、粘土の器は人類を意味する。 いっぽう、人間は自分の生きたいように生きるほかないのだ。 それは自由ではない。 ただ人間はそ…