哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

他力浄土系 キリスト教

善心で悪心を除けると思う者は、ぶよを除き、らくだを飲み込む

過去記事に「新約だけでなく旧約の詩篇や箴言などもじつに興味深い。キリスト教の様々な教えが、仏教の様々な教えと、照応していることに気づくからだ」と書いたことがある。 この件を、もう少し書いてみる。 (新共同訳マタイによる福音書24)から引用しま…

YouTubeで聖書を聴く

視力が落ちて、細かい字の読書が辛くなった。 図書館の大活字本も、読みたいものが少ない。 替わりに、YouTubeの朗読をよく聴いている。 読むより楽チンだ。仏教物はまだいいものが少ないが、キリスト教物はわりと充実している。 おれは、 4大宗教に通底す…

不安を無くして安心しようとする人の不安が増大するのは当たり前

以前テレビで「不安病」を特集していた。 不安で過呼吸とか激しい動悸とかが起きる。 それがさらに不安を大きくするという悪循環。全般性不安障害とかパニック障害とか。 なに一人相撲してるんだ。 不安病になる人は不安を病気、悪、損、不都合と思いこんで…

「サティのために生きる」というスタンス

人はただ念仏しやすいように生きるべきだ と法然上人は明言している。 普通は「人生のための念仏」と思いこんでいるが、それは間違いで「念仏のための人生」でなければならないとの教えだ。 この人生に対する非常識なスタンスが、極めて重要だとおもう。 お…

聖徳太子の選択本願

 過激な選択思想は法然上人のアイデアだとおもっていたが、聖徳太子という先駆者がいた。 仏教から大胆に和合の教えだけ選択している。 もちろん仏法の第一義が、人の和であるはずはない。 しかし、まさにその確信犯的なわざとのズラシに、この選択というア…

ほんとに空念仏でOKか?

一遍上人が空也上人に言及した有名な手紙も載せときます。 …むかし、空也上人へ、ある人、念佛はいかが申すべきやと問ひければ、「捨ててこそ」とばかりにて、なにとも仰せられずと、西行法師の「撰集抄」に載せられたり。 是れ誠に金言なり。 念佛の行者は…

下根は万事を捨離して往生す…下根は?

上根は妻子を帯し、家にありながら著せずして往生す。…下根は万事を捨離して往生す。 (一遍 播州法話集) これを初めて読んだときはビックリ!した。 後で気づいたが、上根下根の価値が2回ねじれていたのだ。 つまり、一遍以前に伝統的な浄土教学が、上根下…

目を覚ましていなさい=気づきの持続=ヴィパッサナー実践

(マルコによる福音書 13章)より引用させていただきます。 …目を覚ましていなさい。 いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見…

持戒なしの救いはない

釈尊はこのように説かれた。 戒(かい)あらば則(すなは)ち慧(え)あり。慧あらば則ち戒あり。戒能(よ)く慧を浄(きよ)め、慧能く戒を浄む。…人の手を洗ふに左右相須(さいうあひま)つがごとし。左は能く右を浄め、右は能く左を浄む。此(これ)も亦是(またかく)の…

方法論「閣抛傍」で一事を専らにすべし

昨日の記事中 努々(ゆめゆめ)学人一事を専らにすべし(道元) の補足です。 (法然 『選択本願念仏集』三選の文)より引用させていただきます。 それ速(すみや)かに生死を離れんと欲(おも)わば、二種の勝法の中に、しばらく聖道門を閣(さしお)きて、選びて、浄…

シラ書の預言 狼と子羊、ハイエナと犬は一緒にいられない

生き物はすべて、その同類を愛し、 人間もすべて、自分に近い者を愛する。 すべての生物は類をもって群れ集まり、 人間も自分に似た者と固く結びつく。 狼と子羊とがどうして共存できようか。 罪人と信仰深い人もこれと同じである。 ハイエナと犬は、どうし…

旧約 箴言2

あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。 こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。 そして主があなたに報いられる。 ( 新共同訳 聖書 箴言 25章 21、22節) 無知な者を臼(うす)に入れて 穀物と共に杵(きね)でついて…

旧約 箴言

聖書のことばをいくつか。 明日のことを誇るな。一日のうちに何が生まれるか知らないのだから。 ( 新共同訳 旧約 箴言 27章 1節) 人間はいつ死ぬかわからない。未来を待たず過去を追わず、実際に今この場で、自分はどうするかが存在の肝だとおもう。 愛…

親鸞聖人の三願転入

(真宗聖典 仏説無量寿経巻下 曹魏天竺三藏康僧鎧訳より引用します) 仏、阿難に告げたまわく、「…あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん、心を至し回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得て不退転に住す。…

自虐すぎません?

以下のごとく自ら反省せよというのだが…いささか自虐的に過ぎるのではと、ちらっとおもってしまいます。 外に賢善の相を現してはならぬ。内に虚仮を懐いている身である。貪瞋(とんじん)、邪偽(じゃぎ)、奸詐(かんさ)の端(いとぐち)さまざまで、その悪性の止…

この上なく大切なブッダの筏

釈尊の獅子吼「筏(いかだ)のたとえ」は、 河を無事渡りおえた人は筏を捨てて身軽に行きなさい という教えだ。 www.kosonji.com 向こう岸に渡り終えたら棄てるべき筏(いかだ)も、いまだ渡れないでこちら岸にいる者にとっては、この上なく大切にされるべき事情…

アメリカ人の自我が神となった宗教

日米関係において、日本が昔も今もアメリカの真意をろくすっぽ読めずに大失敗する根本原因は、日本人がアメリカ人の宗教心にまるで無頓着なところにある。宗教大国アメリカには、「アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための一神教」末日聖徒イエス・…

ざんしゅつげんぷくもつ(暫出還復没)

親鸞聖人『教行信証』化身土巻に「涅槃経」の気になる教えが引用されている。 四つの善事あり、悪果を獲得せん。 悪い結果になる善行が四つある、というのである。 こういう善を実行してはつまらないわけだ。 (以下、青字は経典引用文、黒字はおれの試訳と…

悲惨極まる死を遂げた夫婦の件

(使徒言行録4:32,5:1~11 新共同訳から引用します) (イエス・キリストを)信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。 … ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売…

本当は過激な法然上人

法然上人のことば。 (黒谷上人語燈録15 禅勝房伝説の詞より引用します) 一(ひとつ)。現世をすぐべきようは、念仏の申されんようにすぐべし。 念仏のさまたげになりぬべくば、なになりともよろづをいといすてて、これをとどむべし。 いはく、ひじりで申さ…

訳し方で、同じ文の印象がずいぶん変わる

今もたまに聖書を見る。 思うべきことをこえて思いあがらぬように。 神が分かたれた信仰の量に従って節度ある思いをするように。 (ローマ書12・3より 世界の名著「聖書」前田護郎訳) ※新約聖書を、便利な脚注付きの電子ブック版で読むことができます。 →前…

妄念の外に別の心などない

横川法語。恵心僧都・源信大師のことば。 人間と生るること、大いなるよろこびなり。 身はいやしくとも、畜生におとらんや。 家まづしくとも、餓鬼にはまさるべし。 心におもふことかなはずとも、地獄の苦しみにはくらぶべからず。 世のすみうきは、いとふた…

人が採りうる最良の態度

A.自分の救いのために、困っている人を助けようとする。 これは、非難はされないにしても、少なくとも最良の態度ではない、不純な動機が混じっているから、と思っていた。 B.ただ、困っている他人を見て、かわいそうだ、きのどくだと思い、その気持ちのま…

身につまされる言葉

…わたしが得たのはただ納得であって、信仰ではなかった。… 多くの経典や研究書を耽読した三十歳代であるが、絶えず了解し、絶えず迷い、結局そこに残ったのは「知識」であったといえる。 (鷲巣 繁男 遺稿集より) 実に身につまされる言葉だ。 宗教に興味な…

証を覚前に獲る

道元禅師の言葉をもうひとつ。 知るべし、 行を迷中に立てて、 証を覚前(かくぜん)に獲(う)ることを。 (永平初祖学道用心集「仏道は必ず行に依りて証入すべき事」) 行は迷いながら、それでもやり遂げるものである。 普通は、証を獲て、はじめて迷いは消え…

聖書の言葉

聖書の言葉を少しだけ 心を尽くして知恵に近づき、 力を尽くして知恵の道を歩み続けよ。 足跡を追って、知恵を探せ。 そうすれば、知恵が見つかるだろう。 しっかりつかんだら、それを手放すな。 ついには、知恵に憩いを見いだし、 知恵は、お前にとって、喜…

まず有縁を

親鸞は、父母への孝養のためと考えて、追善供養の念仏を称えたことは、まだ一度もない。……すみやかに浄土に生まれてさとりを開いたならば、…なにをおいてもまず自分と縁の深い人々を救うことができよう (歎異抄5石田瑞麿 現代語訳) 原文全 親鸞は父母の孝…

出家と在家

釈尊は、出家修行者用の教えと、在家信者用の教えを、区別して説いた。 在家信者に、出家者の修行を薦めても、たいていは苦しみ混乱するだけで無益だと分かっていたからだ。 出家者への教えと戒律は、「存在の意味」に最短距離で直結させるためのものだ。 「…

ネガティブ自信

仏教とは、ありのままの自分を深信することだ。 この「自分を深信すること」が、親鸞のように、完全に、ほとんど自虐的なまでに ネガティブ に自覚、表明される場合がある。 以下の言葉は、その徹底ぶりによって詩に昇華している。 浄土真宗に帰すれども 真…

絶妙の仏教

親鸞は「教行信証」で『観経義疏』を引用して、説いている。 いま浄土の経典はいずれも一様に魔の障りを説かない。したがって、この教えには魔の障りがないことを、はっきり知ることができる。 それに対して、禅等の自力修行は魔の因縁を持っている。 もし、…