哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

安吾と澤木老師

 坂口安吾が戦時中に書いた「日本文化私観」から引用します。
 
…まっとうでなければならぬ。寺があって、後に、坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。寺がなくとも、良寛は存在する。もし、我々に仏教が必要ならば、それは坊主が必要なので、寺が必要なのではないのである。京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。日本の建築すら、微動もしない。必要ならば、新らたに造ればいいのである。バラックで、結構だ。
 
 

 安吾は、法隆寺平等院よりも、小菅刑務所とドライアイス工場と軍艦に本物の美しさを認めて、その根拠を述べます。

 

 この三つのものが、なぜ、かくも美しいか。ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。美というものの立場から附加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上っているのである。それは、それ自身に似る外には、他の何物にも似ていない形である。必要によって柱は遠慮なく歪ゆがめられ、鋼鉄はデコボコに張りめぐらされ、レールは突然頭上から飛出してくる。すべては、ただ、必要ということだ。そのほかのどのような旧来の観念も、この必要のやむべからざる生成をはばむ力とは成り得なかった。そうして、ここに、何物にも似ない三つのものが出来上ったのである。

 

すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。法隆寺平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下している限り、これが美しくなくて、何であろうか。見給え、空には飛行機がとび、海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々と駈けて行く。我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活する限り、猿真似を羞はじることはないのである。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。

(以上。強調は私です)

 

 

 

 次に、澤木興道老師の言葉「禅に聞け」より引用します。

 

 

 

 金閣寺でも法隆寺の金堂でも、みんな坊主が修行するためにあるのじゃない。ただ坊主が遊んで食えるというだけの話じゃ。

 東大寺法隆寺も、その他もろもろの寺は何のために建立されたか。――結果としてはナマクラ坊主を飼うとくために建立したにすぎぬ。してみればこそ金閣寺延暦寺も、火をつける坊主も出てくるのは当りまえじゃ。

「トウのたった考え」というのがあるな。おとなが、よう子供に言うて聞かせておるが、たいがい「トウのたった考え」を言うておるにすぎぬ。「ええものがええ」と思い「悪いものが悪い」と思うておる。――「トウのたった考え」――葉っぱでもトウがたつと、食えるものが食えぬようになる。

(引用終)

 

 

 自分の頭がすっかり硬くなり、新しいことを一切受容できなくなると、ずうずうしくも「俺も一人前の社会人になった。精神の安定した大人になった」と思い「悪いものは悪い。いいものはいい。ダメなものはダメ」と断言して何か言った気になって威張る「大人」に、大多数の人間が劣化するのはいったいなぜか。

 

 社会の習慣は常時ONの定力装置で、それに常にそれ以上の力で抵抗していないと、加わる影響はどんどん大きくなる。
日常人はごく若い時以外はほとんど抵抗しないから、歳をとるにしたがってその受ける影響は蓄積され、ついにはまったく社会習慣の権化に変わってしまい、もはや自分で考え悩む努力は消え「悪いものは悪い。いいものはいい。ダメなものはダメ」とロボットのように言うだけになってしまう。

 

※ 定力装置 一定の力を加え続ける事のできる装置

 

 

 

 もう少し澤木老師の引用を続けます。

 

 いつもマアッタラシの目で見なければならぬ。「これは大事なもんで」――何が大事か。何も大事なものなんてありはせん。死んでゆく時にはみんなおいてゆくんじゃ。奈良や京都の文化財たら国宝たら言うても、どうせ、いつかはのうなるんじゃい。――そんなものスッポリ焼けてしもうてもいいんじゃ。

 住持とは元来、仏法に住し、仏法を任持してゆくということ、つまり仏法をうけたもってゆくことであった。ところが今の住持ときたら、寺にしがみついて食ってゆくこと――お寺に住し、自分の生活を保持してゆくというだけになってしもうた。

 金をためねばならぬような坊さんは不徳であるということは言うまでもない。

 坊主は金のないのが自慢である。良寛さんが死んだ時、金をためておったというウワサがある。それに対して、「そんなことはない。死んだ時の帳面にも、これこの通り」と言うひとがある――これは良寛さんを庇(かば)った言葉である。してみればやはり坊主に金のあるのは恥なんじゃ。

 良寛さんが亡くなって金を遺したかどうか、――やはり何も遺していなかったというのでホッとする。
 ところが娑婆の奴はそうは思わぬ。そこで出家者と娑婆の考えが正反対であることが、ようわかる。

 今の坊さんのは出家ではない。ワラ小屋から瓦小屋に家移りするだけだ。菓子屋の息子が火葬場のオッチャンに商売替えするのと同じじゃ。

 常識、常識と言うが、何を言うのかと思えば、人並みの考えのことを言っている。
もっと言えばグループ呆けの考えのことを言っておるにすぎぬ。

 ようつつしんで親だとか先祖だとか背景だとかで、値うちを持たそうとしてはならぬ。金や地位や着物で味をもたせてはならぬ。現ナマじゃ。宗教とは現ナマの自分で生ききることじゃ。

 

「在家の出家」とは、在家でありながら在家のグループ呆けしていない人間のことである。

(以上。強調は私です)

 

 

 

 上述の坂口安吾の精神は、生半可な出家坊主よりよほど本物の出家に近いと思う。
安吾の美的観点からの洞察は澤木老師の宗教的英知と等しくはないが、どこか通底しているところがある。
彼のような人間こそ、グループ呆けしない在家の出家と呼ぶにふさわしいと思う。

 

(過去記事再録)