哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

それによって

学生ドータカが釈尊に訴えた。 「…あまねく見る人よ。 わたしはあなたを礼拝いたします。 シャカよ。 わたしを諸々の疑惑から解き放ちたまえ。」 (釈尊) 「ドータカよ。 わたしは世間におけるいかなる疑惑者も解脱させえないであろう。 ただ汝が最上の真理…

諸悪莫作 衆善奉行

瞑想に励んで、ついに非想非非想処(ひそうひひそうじょ)を体験するよりも、 諸悪莫作 衆善奉行(しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう) の教えひとつを信じて生きるほうがはるかに優れていると、おれは思う。 ※『非想非非想処』 釈尊が出家してすぐに到達したき…

身に刺さった矢

(経験するものを)実質のある物だと思って、走り近づいて行くが、ただそのたびごとに新しい束縛を身に受けるだけである。 暗黒のなかから出て来た蛾が(火の中に)落ちるようなものである。 かれらは、見たり聞いたりしたことに心が執着しているのである。 …

種々の思いに順次に住する

ブッダの説かれたとおりに、呼吸を整える思念をよく修行して、完成し、順次に(諸の煩悩を)克服してきた人は、雲を脱れた月のように、この世を照らす。 もしも或る人にとって身体について真相を念(おも)うことがつねに完全に確立したならば、その(「アート…

自己のよりどころをつくれ

汝の生涯は終りに近づいた。汝は、閻魔(えんま)王の近くにおもむいた。汝には、みちすがら休らう宿もなく、旅の資糧(かて)も存在しない。 だから、自己のよりどころをつくれ。すみやかに努めよ。賢明であれ。汚れをはらい、罪過がなければ、汝はもはや生と老…

今、急用ができた

いつもは毎日0時ごろに更新してますが、今、急用ができたので、次回はできなくなりました。 あしからず。 毎日更新のペースを守りたいので明日中には更新したいと思います。

永遠の真理

ダンマパダの言葉をいくつか。 たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。--牛飼いが他人の牛を数えているように。 かれは修行者の部類には入らない。 この世のものを不浄であると思いなして暮らし…

おのれの愛しいことを知る者

人の思いは何処(いずこ)にも行くことができる。 されど、何処に行こうとも、 人は己(おのれ)よりも愛(いと)しきものを見出すことを得ない。 それと同じように、 すべて他の人々にとっても自己はこのうえもなく愛しい。 されば、 おのれの愛しいことを知る者…

釈尊の無答記

今日は、釈尊の、世界に比類なく勝れた教えを紹介します。 (中部第63 小マールンキャ経 毒矢のたとえ 桜部健訳より) 「人は死後存在するという考え方があってはじめて、人は修行生活にとどまるであろうというようなことはない。 … 人は死後存在しないとい…

耕作者

(スッタニパータ1・4概略) あるとき釈尊は、托鉢(たくはつ)に出て、手広く農業を営んでいるパーラドヴァージャというバラモンに近づき、そばに立った。 パーラドヴァージャは、食を受けるために立っている釈尊に告げた。 「沙門よ。わたしは耕して、種をま…

象の足跡のたとえ

いったん大乗仏教から離れます。 「友よ、たとえば歩行する動物のどんな足跡もすべて象の足跡のなかに収まってしまい、象の足跡はその大きさのゆえに、それら諸動物の足跡のなかで最上といわれるのとちょうど同じように、友よ、どんなよい法もすべて 四つの…

証を覚前に獲る

道元禅師の言葉をもうひとつ。 「知るべし、行を迷中に立てて、証を覚前(かくぜん)に獲(う)ることを。」 (永平初祖学道用心集3) 行は迷いながら、それでもやり遂げるものである。 普通は、証を獲て、はじめて迷いは消えるが、それは迷中の行の力であろう。…

修証一如

道元が比叡山で勉強中に 本来本法性(ほんらいほんぽっしょう) 天然自性身(てんねんじしょうしん) (人間は生まれながら、そのままで 仏性が備わっている) と教わった。 道元は 「それなら、なぜわざわざ発心修行する必要があるんですか」 と至極当然の質問…

方法的信

「仏道を信ずる者は、すべからく自己、本より道中に在って、迷惑せず、妄想せず、顛倒せず、増減なく、誤謬なきことを信ずべし。かくの如きの信を生じ、かくの如きの道を明らめ、よってこれを行ず。乃ち学道の本基なり。」 (道元禅師 永平初祖学道用心集9)…

巌喚主人

瑞巌和尚、毎日自ら主人公と喚び、復た自ら応諾す。及ち云く、惺惺著。諾。他時異日、人の瞞を受くること莫れ。諾、諾。 (『無門関』第十二則) 瑞巌師彦禅師の師匠は巌頭禅師、青原行思(六祖慧能の2大弟子の1人)の流れを汲む人です。 この瑞巌和尚は毎…

臨済録

語録の王といわれる臨済録。 特に有名な部分をあえてとりあげます。 「逢佛殺佛 逢祖殺祖 逢羅漢殺羅漢 逢父母殺父母 逢親眷殺親眷 始得解脱」 「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、 羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、 親眷…

無門関第19「平常心是道」

「平常心是道」は馬祖道一の名句ですが、公案になっています。 南泉と趙州の問答。 趙州問う「如何なるか是れ道」 南泉云く「平常心是れ道」 州云く「還って趣向すべきや否や」 泉云く「向わんと擬すれば即ちそむく」 州云く「擬せずんば争でか是れ道なるこ…

至道無難 放下着

次は五祖弘忍、その次は四祖道信ですが、残念ながら、ぜんぜん知りません。 三祖僧燦の「信心銘」は好きなのでちょっとだけ紹介します。 至道無難唯嫌揀擇 但莫憎愛洞然明白 毫釐有差天地懸隔 (試訳) 悟ることは簡単だ。 えり好みさえしなければいいのだ。…

曹渓慧能

懐讓禅師の師は六祖慧能禅師。 弟子の南嶽懐譲から臨済宗、青原行思から曹洞宗など、後の五家七宗全てが六祖の門から出る。 慧能禅師の説法集『六祖壇経』は、おれが見た禅書のなかでいちばんおもしろかった。 本来無一物(ほんらいむいちもつ) この言葉をき…

南岳懐讓

馬祖禅師の師は南岳懐讓禅師 説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう) 悟りの世界を言語で言い当てることは原理的に不可能、という意味だと思います。 概念で表わせないことを、直に言語化すると、たいてい夢のような茫漠とした表現、あるいは狂人の語る…

馬祖道一

百丈禅師の師は馬祖道一禅師。 「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」で有名な人。 迷に対して悟を説くに、本より既に迷の無ければ、悟もまた立たず。一切の衆生、無量劫より、法性三昧を出ず。長く法性三昧中に在り、着衣喫飯、言談して祇に対す。六根…

百丈懐海

臨済禅師の師が黄檗禅師、黄檗禅師の師は百丈懐海禅師 (これからちょっと系統をさかのぼってみようかと思ってます) 禅院の生活規則 「百丈清規」 を作った人。 「一日作さざれば一日食らわず」 「働かざる者食うべからず」という意味ではありません。 しか…

黄檗希運

臨済禅師を出したついでに、師匠の黄檗希運禅師も 「念を息(そく)し慮(りょ)を忘ずれば佛自(おのづか)ら現前(げんぜん)す」 「我すらなお不可得(ふかとく)なり、我にあらざるもの何ぞ可得ならむ、佛と衆生と皆不可得なり」 「三乗十二分教(さんじょうじゅう…

自信の塊 臨済宗

悲しいかな、われら一念に悟れば直にこれ仏となるを知らずして、却って一念迷うが故に、自ら凡夫となりさがる。 かくも尊き仏法を耳にしつつも、一向に信心帰依の心なく、生死の海に浮沈して、三毒五欲の妄念と憎愛取捨の迷執に、日夜造業造作して、永劫出離…

臨済義玄

「病なんの処にか在る。病は不自信の処に在り。」 (臨済禅師) 「修行が進まないのは、お前が自分を信じないからだ」 と臨済禅師は断言している。 釈尊の「自灯明」の重要さを説いているのだ。 臨済禅師の「自信」といい、釈尊の「自灯明」といい、とてつも…

澤木興道

今日は澤木老師の言葉をいくつか たいがいの人間のやることは、べつにはっきりした人生観があってやっているのではない。 ただ肩の凝った時にトクホン貼ってみるぐらいの、まにあわせの人生観でやっているのでしかない。 みんな自分自身そのなかにつかりこん…

あたりまえのこと

以下は、「なにをあたりまえのことをくどくどと言っているのか」と思う言葉ばかりだ。 この世における人々の命は、定相なく、どれだけ生きられるかわからない。惨ましく、短くて、苦悩に繋がれている。 生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達し…

十牛図

今日も聖書の言葉をひとつ 「心を尽くして知恵に近づき、 力を尽くして知恵の道を歩み続けよ。 足跡を追って、知恵を探せ。 そうすれば、知恵が見つかるだろう。 しっかりつかんだら、それを手放すな。 ついには、知恵に憩いを見いだし、 知恵は、お前にとっ…

聖書の言葉4

今日は聖書の中から、おれの好きな『コヘレトの言葉』を 「わたしは知った 人間にとって最も幸福なのは 喜び楽しんで一生を送ることだ、と 人だれもが飲み食いし その労苦によって満足するのは 神の賜物だ、と。」 (コヘレトの言葉3・12,13 新共同訳) 「そ…

ブッダの真理の言葉(中村 元 訳 岩波文庫)

ダンマパダからいくつか。 『「わたしには子がある。わたしには財がある」 と思って愚かな者は悩む。 しかしすでに自己が自分のものではない。 ましてどうして子が自分のものであろうか。 どうして財が自分のものであろうか。』 (ブッダの真理の言葉62 中…