哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ブッダの見事な入滅とピノの静かな死と、人間の無残な死

 

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 ブッダは遺言として一代の説法の真髄を簡潔に説き

汝等比丘、常に当に一心に出道を勤求すべし。一切世間の動不動の法、皆な是れ敗壊不安の相なり。汝等且く止みね。復た語を得ること勿れ。時、将に過ぎなんと欲す。我、滅度せんと欲す。是れ我が最後の教誨する所なり 
(仏遺教経)

と説き終わると、深い瞑想に入り亡くなられた。
空しい幻想に頼ることなく苦も無く逝くその静謐な死に、おれは震慄するほど感動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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 6年半前午前2時頃、様子を見に行くとピノが死んでいた。

ピノはあんなに大好きだった散歩に行けなくなり、部屋でも歩けなくなり、寝たきりになり、日を追ってどんどん辛さが増していったのに、最期まで痛がったり苦しがったりは全くせず、世話するおれに負担をかけなかった。
最後の1週間は不思議なほど、食べ物も水も一切欲しがらなかった。うんこもだんだん量が減り、臭いもなくなっていった。

実に自然な老衰死だった。
まるで悟った者の臨終に立ちあったようだった。

人間はとてもこんな静かな死にかたはできないとおもった。

 

 

 

 

 

 このピノが見せてくれた動物の自然な死にぶりは、ブッダの見事な死にぶりに、なんとなく似ているところがある。
空しい幻想なしに淡然と逝った点が共通しているのだ。
 
言うまでもないことだが、その境涯は天と地ほど違う。
 
 
 
ブッダの境涯は螺旋状に上昇していて、はるか上の位置にいる。
 

縦に見るとピノと同じところに重なって見えるが、もし横から見ることができれば、高さがまったく違うのが分かるだろう。




 大多数の人間の最期はというと、ブッダの見事な死にぶりはもちろん、ピノが見せてくれた動物の自然な死にぶりにさえ遠く及ばない凄惨無残なものだ。

しかも、

死を受け入れることさえできずに、あの世という素晴らしい場所に引越して、みんなと一緒に生き続けるという幼稚な共同幻想にしがみついて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


こんな人間て…

どうよ。

 

 

 

(過去記事増補編集再録)