哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧

マニアックな趣味

(ヒルティ幸福論第二部「罪と憂い」草間平作・大和邦太郎訳)より引用します。 「主よ、わが罪の深さをあらわしたまえ、しかしあなたのみ恵みの深さをもお示しください。」(同胞協会賛美歌526番)。この言葉のいずれか一方がなかったならば、人は絶望に…

幸田露伴のスケールの大きさ

じつは、「五重塔(ごじゅうのとう)」(作:幸田露伴)という古い小説が大好きです。 露伴は骨太で饒舌という、現代小説家にはない面白さがある。 露伴の娘の文、その娘の玉、そのまた娘の奈緒と文学者が続き、「だんだん小粒になっていく」と批評されると、…

ショーペンハウアーへのワケわからん紋切型批評

ショーペンハウアーを扱き下す三木清の言葉を引用します(「語られざる哲学」より) 生の無価値にして厭うべきことを説きながら、自らは疫病を恐れて町を飛び出したり、ホテルでは数人前の食をとったり、愛人と手を携えてイタリアを旅した彼の哲学は、インド…

滅びに至る多くの人々のために嘆いたりはしない

(聖書 エズラ記6・33,34 新共同訳)より引用します。 信頼せよ。恐れるな。今の時代に焦ってむなしいことを考えるな。 そうすれば終末の時が来ても慌てることはない (引用終) 『終末の時』ってなんだろう? それは、人類全体にもいつか来るだろうが、個人…

世の中を暗くいやらしくする獣的人間

昔、職場で「何を言ったかじゃなく、誰が言ったかで判断する人間は最低だ!」と怒ったことがある。 周りの反応は鈍いものだろうと、言う前から予想はついたが、それでも言ってしまうときもあった。 武田邦彦先生のエッセイ「何を言った」より「誰が言った」…

選択の余地が一切ないという安心

(ブッダ 神々との対話2・7中村 元訳)よりブッダの言葉を引用します。 さとりに至る実践の修養のほかに、感官を制御することのほかに、一切を捨て去ることのほかに、生ける者どもの平安を、われは認めない。 (引用終) 事実は、恐ろしく厳しいものなわけで…

テレビドラマ「相棒」

相棒7 第15話「密愛」(再放送) ふだんはあまり見たことがない「相棒」を、たまたま再放送で見て、さっき観終ったとこ。 なんとなく最後まで観たら、なかなかの名作で驚いたわ。 ラスト数分で明かされる男の献身に、春琴抄の佐助連想した。 いまさらですが、…

怖すぎる旧約聖書

旧約聖書の言葉を。 (イザヤ書45・6~10 新共同訳)より引用します。 わたしは主、ほかにはいない。 光を造り、闇を創造し 平和をもたらし、災いを創造する者。 わたしが主、これらのことをするものである。 …… 災いだ、土の器のかけらにすぎないのに 自分…

何度も何度も確認自戒すべきこと

自(みずか)ら昧(くら)くして他を照らすことなし (興教大師 一心自覚頌) 先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。 そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。 (ブッダの真理の言葉12・158中村 元訳) 他人に教えるとおりに、自分…

仏説は外道となにが違うのか

7月20日の記事言語はアートマンが神となる構造をもっているに、 …中でもバガヴァッド・ギーターの教えは(仏教と)類似点が多い。 と書いた、その補足です。 『バガヴァッド・ギーター』は荘厳なるものの歌、の意で、人格神への信愛の道を説くヒンドゥー聖典…

上と下と横と中央にあるものは全て執着である

学生ドータカが釈尊に訴えた。 (ブッダのことば5・6 1063,1064 中村 元訳)より引用します。 (学生ドータカ) …あまねく見る人よ。 わたしはあなたを礼拝いたします。 シャカよ。 わたしを諸々の疑惑から解き放ちたまえ。 (釈尊) ドータカよ。 わたしは…

この世でなす善悪だけが、人の所有するものとなる

瞑想に励んで、ついに非想非非想処(ひそうひひそうじょ)を体験するよりも、 諸悪莫作 衆善奉行(しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう) の教えひとつを信じて生きるほうがはるかに優れていると、おれは思う。 ※『非想非非想処』 釈尊が出家してすぐに到達したき…

夏恒例 川で手動瞑想

個人的に夏恒例にしている「近くの川で手動瞑想」に今年もほぼ毎日通っている。 しかし昨日は用事があり行けなかった。夕方のニュースで、この川に親子で遊びに来ていた小学生が溺れ死んだと。 今日は昼頃川に行った。遠くで釣りをしてる父子2人のみ。ライフ…