哲学日記

 いつくたばってもおかしくない爺です。存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

#宗教

種々の思いに順次に住する

ブッダの説かれたとおりに、呼吸を整える思念をよく修行して、完成し、順次に(諸の煩悩を)克服してきた人は、雲を脱れた月のように、この世を照らす。 (ブッダの感興のことば15章 中村元訳より引用させていただきます)もしも或る人にとって身体につい…

自分でよりどころをつくれ

汝の生涯は終りに近づいた。汝は、閻魔(えんま)王の近くにおもむいた。汝には、みちすがら休らう宿もなく、旅の資糧(かて)も存在しない。 だから、自己のよりどころをつくれ。すみやかに努めよ。賢明であれ。汚れをはらい、罪過がなければ、汝はもはや生と老…

永遠の真理

(ブッダの真理の言葉 中村元訳より引用させていただきます) たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。--牛飼いが他人の牛を数えているように。かれは修行者の部類には入らない。 この世のものを…

世俗王パセーナディとブッダ(5月29日の記事)

マインドフルネス・ダイエット コーサラ相応「大食経」を読む|ゆるねこ仏教オンライン講座18(22 Nov 2022) - YouTube www.youtube.com 動画より引用させていただきます。 「人に、常に正念あり、 得られた食物に量を知るならば、 痩身の者には〔快適な〕…

托鉢するブッダと労働する農夫の対話

(スッタニパータ1・4耕作者 一部概略) あるときブッダは、托鉢(たくはつ)に出て、手広く農業を営んでいるバーラドブァージャというバラモンに近づき、そばに立った。 バーラドブァージャは、食を受けるために立っているブッダに告げた。 「沙門よ。わたし…

すべての法の中で、不放逸こそが最上の法である。

(パティパダー巻頭法話「仏道は不放逸に極まる 智者は世の流れを渡る」アルボムッレ・スマナサーラ長老 より抜書引用させていただきます) 怠りなまけている人々のなかで、ひとりつとめはげみ、眠っている人々のなかで、ひとりよく目醒めている思慮ある人は…

証を覚前に獲る

5日の記事に続けて道元禅師の言葉をもうひとつ。知るべし、行を迷中に立てて、 証を覚前かくぜんに獲うることを。(永平初祖学道用心集3)行は迷いながら、それでもやり遂げるものだとおもう。 普通は、証を獲て迷いが消えるのだが、それは迷中の行の力で起…

方法的信

仏道を信ずる者は、すべからく自己、本より道中に在って、迷惑せず、妄想せず、顛倒せず、増減なく、誤謬なきことを信ずべし。かくの如きの信を生じ、かくの如きの道を明らめ、よってこれを行ず。乃ち学道の本基なり。(道元禅師 永平初祖学道用心集9) おれ…

おい、主人公よ!

瑞巌和尚、毎日自ら主人公と喚び、復た自ら応諾す。及ち云く、惺惺著。諾。他時異日、人の瞞を受くること莫れ。諾、諾。(『無門関』第十二則) この瑞巌和尚は毎日自問自答してたというんですね。自分に向かって「おい、主人公よ」と。自分で「ハイ」と答え…

逢佛殺佛

「逢佛殺佛ほうぶつさつぶつ」 は、語録の王といわれる 臨済録の特に有名な偈です。逢佛殺佛 逢祖殺祖逢羅漢殺羅漢 逢父母殺父母逢親眷殺親眷 始得解脱仏に逢うては仏を殺し、 祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、 父母に逢うては父母を殺し、…

禅宗三祖僧璨「信心銘」

次は五祖弘忍、その次は四祖道信ですが、ぜんぜん知りません。 もっとも、そう知る必要もないのかもしれません。 馬祖道一・石頭希遷あたりより前はすべて嘘混じりの神話(捏造)らしいからです。人間の嘘つき能力の信じがたい高さに驚嘆しますわ。しかも自…

六祖慧能

懐讓禅師の師は六祖慧能禅師。 慧能禅師の説法集『六祖壇経』は、おれが見た禅書のなかでいちばんおもしろかった。弟子の南嶽懐譲の法統から臨済宗、青原行思の法統から曹洞宗など、後の五家七宗全てが六祖の門から出た(ことになってる) スマナサーラ長老…

南岳懐讓

ちょっとAIに訊いてみた。 「南岳懐讓禅師以前の祖師は後世の作りものですか?」 AIの応答 南岳懐譲禅師(677-744)以前の祖師(特に六祖慧能から初祖達磨に至る系譜)は、歴史的な実在人物が基盤にはなっているものの、後世(特に唐代中期以降)の禅宗の発展…

平常心是道

百丈禅師の師は馬祖道一禅師。 「平常心是道びょうじょうしんこれどう」 は馬祖道一禅師の道破です。 (フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』 より引用させていただきます) 若し直ちに其の道を会せんと欲すれば、平常心是れ道たり。何をか平常心…

百丈懐海

臨済禅師の師が黄檗禅師、黄檗禅師の師は百丈懐海禅師(これからちょっと法脈を遡る)禅院の生活規則を整え「百丈清規」を作った人。「一日作さざれば一日食らわず」「働かざる者食うべからず」という意味ではありません。しかし、釈尊はこういう誤解をまね…

黄檗希運

臨済禅師を出したので、師匠の黄檗希運禅師も念を息(そく)し慮(りょ)を忘ずれば佛自(おのづか)ら現前(げんぜん)す我すらなお不可得(ふかとく)なり、我にあらざるもの何ぞ可得ならむ、佛と衆生と皆不可得なり三乗十二分教(さんじょうじゅうにぶんきょう)を学…

抜き読みの支障

No.21【朗読】旧約聖書 伝道の書 全12章 / キリスト教 / カトリック / プロテスタント おれは、最初期の記事「聖書の言葉4」で、伝道の書(コヘレトの言葉)をとりあげて、 それにしても、最後の最後に脈絡の感じられない、取って付けたような御託宣、 すべ…

まだキテナイ人

(ブッダの真理のことば62 中村 元 訳) より引用させていただきます。 「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。 しかし すでに自己が 自分のものではない。 ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のもの…

まず有縁を

親鸞は、父母への孝養のためと考えて、追善供養の念仏を称えたことは、まだ一度もない。……すみやかに浄土に生まれてさとりを開いたならば、…なにをおいてもまず自分と縁の深い人々を救うことができよう(歎異抄5石田瑞麿 現代語訳) 原文全親鸞は父母の孝養…

自分の濃い影法師が見えるのは、背後から明るい光が当たってるからだ。

『蓮如上人御一代記聞書』より、いくつか。 心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり。(213) 道元禅師の「一方を証する時は、一方は暗し」と通じるものを感じる。しかし直接には、歎異抄以下の言葉をふまえての発言とおもう。 「…

最初の人間 釈尊

釈尊は、遺伝子に逆らって完全勝利した 史上最初の人間である。

識は常に楽を求む「わたしと踊れば、あなたを愛そう」

今日の自主ウォーキング会後ティタイム、G氏との会話(一部) おれ「……は、キチガイのフリ続ければ、本物のキチガイになる。千年も万年も生きるんならともかく、100年足らずで死んでしまうのに、そんな生き方しとってどうするんやとおれはおもうけどなーあんな…

ブッダは無明→行 。ショーペンハウアーは(無明⇔行)

十二因縁とは、 順に 無明(無知)が根本原因となり 行が生じ、 行によって識が生じる云々。 逆に 無明の滅により諸行が滅する。諸行の滅により識が滅する。 (以下、 識の滅により名色が滅する。名色の滅により六処が滅する。六処の滅により触が滅する。触の…

ジレンマを断つブッダの獅子吼

これは釈尊の獅子吼(ししく)です。色は無常なり。無常なるは即ち苦なり。苦なるは即ち我に非ず、我に非ざるは亦我所に非ず。是の如く観ずるを真実の正観と名づく。是の如く受・想・行・識は無常なり。無常なるは即ち苦なり。苦なるは即ち我に非ず、我に非ざ…

なぜ世界はいつまでたっても酷いままなのか

仏教は、ことばを月差す指にたとえる(指月の譬) もし人に、月が見えないと月ということばも生まれない。 では、一人だけに月が見えて、他の誰にも月が見えないとどうか。 月ということばは、やはり生まれない。 たとえ、そのたった一人月を見た人が、月というこ…

スタート地点「一切行苦」

すでに書いたことだが、重要なので再確認。 世間においては、苦は文字通り事実そのものだ。 一切行苦 しかし、世間は自分達にとって嫌な事実を直視せずに、 苦から苦への経過 を楽だと幻覚して、むなしい慰めとしてる。 事実誤認してる者に、正しい処方箋は…

五蘊 厭い離るれば解脱する。

阿含経典の言葉を。 (筑摩書房 阿含経典 増谷文雄訳 より引用させていただきます) 「比丘たちよ、色(肉体)があるにより、色を取するにより、また、色に執著するによって、<こは我である、こは世間である、死後の我はかくあらん。常恒にして永住する変易…

悪魔の言葉とブッダの言葉……これは選択問題じゃない

次の言葉を人に聞かせて、感想を訊いてみる。子女ある者は子女について喜び、牛ある者は牛について喜ぶ。人間の執着するよりどころは喜びである。執着するよりどころのない人は実に喜ぶことがない。 すると、10人が10人とも、 「そのとおりだと思う」 と…

ネガティブ自信

仏教とは、 身体でもない心でもない自分 を深信することだ。この「自分を深信すること」が、親鸞のように、完全に、ほとんど自虐的なまでにネガティブに自覚、表明される場合がある。以下の言葉は、その徹底ぶりによって詩に昇華している。浄土真宗に帰すれ…

我という無明 無我

幼少期には、それが実質的に最適対応だったが、大人になったら再設定が必要なことは多々ある。 いくつかの使用例を聞いただけで言葉の意味を決めつけて、以後変更を受けつけない態度は犯罪的横着だ。 大多数のいい歳した大人達は、昔みんなで捏造した共同幻…