哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ショーペンハウアー

人間は、生病老死 の不安から逃れるために、何をしたか

【ブッダの教え】瞑想でも坐禅でもないブッダの実践法とは?|スマナサーラ長老の初期仏教法話(説法 日本語字幕付き) - YouTube (法話1:10辺りから引用させていただきます) 花がきれいってのは人間の勝手な感情であって、 花はきれいじゃないんです。 だ…

仏説は外道となにが違うのか

ウパニシャッドと仏教は類似点が多い。 中でも『バガヴァッド・ギーター』の教えは共通点が多い。 バガヴァッド・ギーターは荘厳なるものの歌、の意で、人格神への信愛の道を説くヒンドゥー聖典です。 ブッダは永遠不滅の人格神を説かなかったので、根本的に…

人はなぜ名所に落書きするのか

《難問》 名所旧跡に落書きする人間は、時代や地域性に関わらず普遍的に存在している。 この理由を述べよ。 有名観光施設で落書きする行為は、消えることなく、ある割合で常に発生している。 名所旧跡に落書きする人間は、自分がなぜ落書きしたくなるのかわ…

現今ぴんぴんしてる人間は皆不正直者

(夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」から引用します) いわゆる因果法というものはただいままでがこうであったということを一目に見せるための索引に過ぎんので、便利ではあるが、未来にこの法を超越した連続が出てこないなどと思うのは愚の極であります。… (…

盲目の欲は自己の保存と拡大のみを欲する

おれは、月1回、近隣の神社の裏山に岩清水を汲みに行く。 もちろん無料である。 この水を使っていれた美味しいお茶を飲みながら、ちょっと思いついたことがある。「もちろん無料である」と書いたが「まだ今のところは無料である」と書くべき時代ではないの…

楽しみを求めるだけの識別能力

親鸞は教行信証で『大智度論』を引用して言っている。 「真実の智慧に依る」とは、その智慧はよく善悪を比較し区別するが、 識別はただつねに楽しみを求めるだけで、肝心の正しい道にはいっていかない からである。 (石田瑞麿 現代語訳) [原文] 「依智」と…

意識の感受性能を上げる

無意識の意識化、それをさらに無意識化する …これがワンサイクル。 これを何度も繰り返すのが、 人類の運命なのかも知れないと、ふとおもう。 無意識の意識化は、困難で偉大な事業だ。 しかしそれだけでは、結局どうしようもない。 救いのためにはその後、 …

ショーペンハウアー 編修3

『(盲目の)意志』は無明だ! ショーペンハウアーを読んで、 初めて釈尊の説く無明が分かった気がした。 無明が単なる無知であるはずがない。 それでは、現にある人間と世界が、現にあるようには理解できないからだ。 自分にとっては、興奮する発見だった。…

ショーペンハウアー 編修2

誰でも自分自身にとっていちばんよいもの、いちばん大事なものは自分自身であり、いちばんよいこと、いちばん大事なことをしてくれるのも自分自身である。 (ショーペンハウアー「幸福について」橋本 文夫訳) 先入観に染まった多くの人は、一読して 「あん…

ショーペンハウアー 編修1

国家というものは、理性を具備したエゴイズムがエゴイズムそのものに降りかかってくるそれ自身の悪い諸結果を回避しようとするための手段である。 (「意志と表象としての世界・正編」第六十二節。西尾幹二訳・中央公論社。以下 62 と表記する) 刑法の法典…

ブッダの地図は、目的地に実際に行く人のためのもの

昔、弟と話したことの断片が浮かんできた。 「…主観と客観の問題が最後まで残る」 弟「主観と客観ってなんやったっけ?」 「自分と自分以外のもの」 「昔、カントが純粋理性批判という本を書いて、神の存在は認識することも証明することもできないと言った。…

「ああ、生きることだ!」「いや、そんなこと言ったって、死にますけど」

ひたすら生きんとする盲目の意志を至高価値にするのが人類全体としての限界なのだ。 大多数の人々の限界なのだ。 彼らは叫ぶ 「ああ、生きることだ!」と。 「いや、そんなこと言ったって、死にますけど。 誰もが例外なく老いて病気になり死にますけど」 と…

読書の仕方

(ショウペンハウアー みずから考えること 石井 正訳)から引用します。 紙のうえに書かれた思想は、一般に、砂にのこる歩行者の足跡のようなものにすぎず、なるほど、その人のとった道はわかるけれども、その人が道すがら眺めたものを知るためには、だれし…

人の認識は常に、あらかじめ意志に強姦されている

(ショーペンハウアー「みずから考えること」心理学的覚え書 石井 正訳)より引用します。 人は、自分の生殖器を隠すごとくに、自分の意志を隠さなければなりません。これら二つのものは、いずれも、存在の根ではありますけれども。また、人は、自分の顔だけ…

万徳を一瞬の怒りが消滅させる。怒る人は、悪をなす

(ショーペンハウアー「みずから考えること」心理学的覚え書 石井 正訳)より引用します。 気の早い人たちは、必ず、自分が怒りはじめそうになったら、すぐさま、その事件を一時忘却するように、おのれにうち克つことを努めなければなりません。というのは、…

誰も本当には気づいてない人生の根本矛盾

(ショーペンハウアー「みずから考えること」心理学的覚え書 石井 正訳)より引用します。 強弱多少のちがいはあっても、わたしたちは、ひとしく、自分たちの営む業のすべてにおいて、終わりの近づくことをこいねがい、早くすませようとあせり、できあがるの…

名声と名誉の大違い

名声と名誉は似ているようで、実は全然違うものだ。 (ショーペンハウアー「幸福について」4 橋本文夫訳)から引用します。 名誉とは要するに、それを担う人が例外的な人物でないことを表わすものである。これに反して名声なるものは、その当人が例外的人物…

みんなが気づきたくないことを平気で言うショーペンハウアー

おれは、みんなが気づかないようにしてる本当のことを、周りの空気を読まず平気で言い放つ人が好きだ。 ショーペンハウアーはきっとそういう人だったとおもう。 (ショーペンハウアー「幸福について」4 橋本文夫訳)より引用します。 誇りというものが世間一…

苦痛と退屈の間を死ぬまで往復する人生

(ショーペンハウアー「幸福について」2 橋本文夫訳)より引用します。 人間の幸福に対する二大敵手が苦痛と退屈である… この二大敵手のどちらか一方から遠ざかることができればできるほど、それだけまた他方の敵手に近づいている… 困苦欠乏が苦痛を生じ、こ…

ショーペンハウアーはなぜ幸福論を書いたか?

(ショーペンハウアー「幸福について」2 橋本文夫訳)より引用します。 種々の財宝のうちで最も直接的にわれわれを幸福にしてくれるのは、心の朗らかさである。… 陽気な人には常に陽気であるべき原因がある。その原因とは、ほかでもない、彼が陽気だというこ…

人間は、いじめも戦争もなくしたいという口先のことばと、実際の行動が完全に矛盾している

権力者は自分への国民の批判意識を逸らすため、わざと外国とのトラブルをでっちあげることがある。 これと同じ不誠実なごまかしを、たいていの人間は自分で自分にたいして行っている。 昔外界に飽きてちょっと自分の内面を覗いてみたものの、その底なしの暗…

全世界の絶滅と交換しても、自分の自我を保持したい人間

ショ-ペンハウアーはくり返しいう。生れたままの個人のまなざしは、マーヤーのヴェールに曇らされている、と。この意味は二つある。1 自分の存在と重要さを盲信するいっぽう、自分以外の存在と重要さを本当には信じていないのが人間の自然状態である。2 …

西洋哲学界のアウトサイダー・ショーペンハウアー

(ショーペンハウアー「幸福について」第4章 橋本 文夫訳)より引用します。 年老いた暁には、身は老いても老いることのない労作に青春の力をことごとく打ちこんでしまったということくらい、慰めになるものはない。 あきらかに、ショーペンハウアーは、自…

ショーペンハウアーへのワケわからん紋切型批評

ショーペンハウアーを扱き下ろす三木清の言葉を引用します(「語られざる哲学」より) 生の無価値にして厭うべきことを説きながら、自らは疫病を恐れて町を飛び出したり、ホテルでは数人前の食をとったり、愛人と手を携えてイタリアを旅した彼の哲学は、イン…

ニーチェはショーペンハウアーを超えたか

現世否定はまちがっている。欲望否定も良くない。というのが昨今の流行だ。 今に始まった事ではない。 ソドムとゴモラの時代から、抑える力が弱まればいつでも飛び出してくる強力なバネ運動のように、繰り返されてきたのだ。 今回の流行は、ニーチェ哲学から…

道徳教育は人を善人にするか

希望とは、ある出来事が起こってくれるように願うことと、その出来事が起こりそうだと思うことをとりちがえたものです。 (ショーペンハウアー「みずから考えること」心理学的覚え書 石井 正訳) 一般に、希望を持つことは、持たないより良いと信じられてい…

ショーペンハウアー3 罪を憎んで人を憎まず

「人間はひとたび生れればあとは永久に彼であり、自分が何であるかは、あとから追い追い認識していくのみである」 (ショ-ペンハウアーの主著「意志と表象としての世界・正編」第五十五節。西尾幹二訳・中央公論社。以下 55 と表記する) 「このような人に…

ショーペンハウアー2 道徳と法律の関係

道徳が第一義的に考察の対象とするのは、個人の良心である。 行為することによって他人の側に生じる結果は道徳の第一義的な直接の対象ではないし、そうであってはならない。 この逆をいくのが国家の法律である。 法律はもはや人間の良心などあてにしない。法…

ひさしぶりに、ショ-ペンハウアー

ひさしぶりに、大好きな哲学者ショ-ペンハウアーについて書きます。 ショ-ペンハウアーはカントの有名な定言命法(「汝なすべきであるがゆえになすべし」)を批判して「すべしというのは子供とか、幼稚な年令にある民族に向かって言うことであって、成人に…

読書

紙のうえに書かれた思想は、一般に、砂にのこる歩行者の足跡のようなものにすぎず、なるほど、その人のとった道はわかるけれども、その人が道すがら眺めたものを知るためには、だれしも自分自身の眼を用いなければならない (ショウペンハウアー みずから考…