哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧

最初の人間

釈尊は、遺伝子に逆らって勝利した 最初の人間である。 DVDを観る 「アサルト13」上佳作。よくできた娯楽作品。 「ファイヤーウォール」中佳作。ネットセキュリティの勉強もできるかなという期待は見事に外れた。 「オー・ブラザー」中佳作

智と識

親鸞は教行信証で『大智度論』を引用して言っている。 『「依智」とは、智はよく善悪を籌量し分別す。 識は常に楽を求む、正要に入らず』 [訳] 「真実の智慧に依るとは、その智慧はよく善悪を比較し区別するが、 識別はただつねに楽しみを求めるだけで、肝心…

無明

『(盲目の)意志』は無明だ! ショーペンハウアーを読んで、初めて釈尊の説く無明が分かった気がした。 自分にとっては、興奮する発見だった。 それまで、仏教の解説本を読んでも納得できないでいたのだ。 数十年後、次の文章をネットで見た。 それが、とっ…

釈尊の獅子吼

これは釈尊の獅子吼(ししく)である。 「色は無常なり。 無常なるは即ち苦なり。 苦なるは即ち我に非ず、 我に非ざるは亦我所に非ず。 是の如く観ずるを真実の正観と名づく。 是の如く受・想・行・識は無常なり。 無常なるは即ち苦なり。 苦なるは即ち我に非…

迷中の是非は是非ともに非なり 迷いの酒

「夢裏(むり)の有無は有無同じく無なり、迷中の是非は是非ともに非なり」 (興教大師 障子書文) 「…仏のお誓いを疑うはてしない心の迷いの酒に酔っている人にますます酒をすすめ、貪り、怒り、愚痴の三つの毒を久しく好んで食べてきた人にますます毒を食べ…

あれか これか

およそ自由と呼ばれるもののなかで本物の自由があるとすれば、それは必ず超越的自由でなければならない。 どのようなもっともらしい理由をつけようと、強制的制約を受けた自由などというものは明らかに自由とは別のものである。 したがって、自由は現象とは…

月差す指

宗教の世界では、よくことばを月差す指にたとえる。 もし人に、月がはじめから見えなかったら月ということばは生まれないだろう。 では、一人だけに月が見えて、他の誰にも月が見えなかったらどうか。 月ということばは、やはり生まれない。 たとえ、そのたった一…

スタート地点

すでに書いたことだが、重要なので再確認。 世間においては、苦は文字通り事実そのものだ。 しかも、嫌な事実を直視できず、苦から苦への変化を楽と錯覚して、むなしい慰めとしている。 このような現状に説くべき教えは、苦等の四諦の法である。 苦聖諦は、…

阿含経典

今日は何も思いつかないので、 阿含経典の言葉を。 「比丘たちよ、色(肉体)があるにより、色を取するにより、また、色に執著するによって、 <こは我である、こは世間である、死後の我はかくあらん。常恒にして永住する変易なきものがある> と、そのよう…

悪魔パーピマン

次の言葉を人に聞かせて、感想を訊いてみる。 「子女ある者は子女について喜び、牛ある者は牛について喜ぶ。人間の執着するよりどころは喜びである。執着するよりどころのない人は実に喜ぶことがない。」 すると、10人が10人とも、「そのとおりだと思う…

ネガティブ自信

仏教とは、ありのままの自分を深く信じることだ。 この「自分を深く信じること」が、親鸞のように、完全に、ほとんど自虐的なまでに ネガティブ に自覚、表明される場合がある。 以下の言葉は、その徹底ぶりによって詩に昇華している。 「浄土真宗に帰すれど…

絶妙の仏教

親鸞は「教行信証」で『観経義疏』を引用して、説いている。 「いま浄土の経典はいずれも一様に魔の障りを説かない。したがって、この教えには魔の障りがないことを、はっきり知ることができる。」 それに対して、禅等の自力修行は魔の因縁を持っている。 「…

良き友

「天地達観の位には、聖人と称し仏陀と号するも、もとより人なれば、畢竟、我が講求討論の友にして、師とするものは天地なり。」 (三浦梅園) そりゃ、そうだ。釈尊だって「私を信じよ」とは言っていない。 「師とするものは天地なり」の気概と見識は、その…

耕治人

耕治人「一条の光、天井から降る哀しい音」を読む。 この作者のことはまったく聞いたことがなかった。 いい私小説だ。 小品「そうかもしれない」が特に。 痴呆になった妻が、心配する夫のことを忘れてしまい、 介助者に「あなたのご主人ですよ」といわれて …

一切皆苦

釈尊は、最初の説法で、苦等の四諦の法を説いて5人を悟らしめた。(サールナートでの初転宝輪) 釈尊は人類最高の瞑想の達人だが、弟子に対しては、まず一切皆苦の真実に気づかせることを第一としていた。 自らの体験から得たその指導法は、45年間説法を…

聖書の言葉3

今日は(も?)なにも思いつかないので、 聖書の言葉を、いくつか。 『わたしは悪人の死を喜ぶだろうか、と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって、生きることを喜ばないだろうか。』 (エゼキエル書18,23) 『善を行って苦しみを受け、そ…

聖書の言葉2

『人間に頼るのをやめよ 鼻で息をしているだけの者に。』 (新共同訳イザヤ書2,22) キリスト教徒は、これを「=神に頼れ」と読むでしょう。 おれは仏教徒ですから、「=自灯明、法灯明」と読みます。 『人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。 誰が…

ニーチェ

現世否定はまちがっている。欲望否定も良くない。というのが昨今の流行だ。 今に始まった事ではない。 抑える力が弱まれば、いつでも飛び出してくる強力なバネ運動のように、ソドムとゴモラの時代から、繰り返されてきたのだ。 今回の流行は、ニーチェ哲学か…

釈尊の言葉2

『真実道を知らないで、百年生きるよりも、それを知って、一日生きるほうがよい』 (現代語仏教聖典 法句抄2) 『道を得んと学ぶのは、戦場に臨むが如く、敗れる者もあれば、逃げ帰る者もある。討死する者もあれば、勝つ者もある。心を堅固にし、強く進んで…

現世快楽主義

釈尊入滅後、やがて宗教改革が起こり、在家信者中心の大乗仏教ができた。教科書的な解説本は、例外なく「菩薩」等を賞揚し、すばらしい改革であり発展であると断定している。本当に、そうなのか?在家信者だけを相手にすれば、「存在の意味」に直結する教え…

釈尊のことば

今日は、釈尊のことばを、いくつか。 ひとは「われはこれこれのものである」と考えるそのとおりのものとなる。 それと異なったものになることは、あり得ない。 (感興のことば32章33中村 元訳) 他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったこと…

共同錯覚世界

「孤独は、すぐれた精神の持ち主の運命である」 (ショーペンハウアー『パレルカ-ウント-パラリポメナ』) いやあ、すぐれた精神の持ち主だけの運命じゃないだろう。 人間は誰もが孤独だ。例外はない。 孤独は、人間に生まれたものの運命だ。 ただ、すぐれた…

山本七平

移動中のバスの中で山本七平の本を読み 「人間は何かになるのではない、何かをするだけだ」 という意味の教えに感銘を受け、釈尊の教えと同じだとおもった。 しかし、おれはそれを他人事にしか聞けていない。 何かしなければいけないと気づき、始めてはみた…

出家と在家

釈尊は、出家修行者用の教えと、在家信者用の教えを、区別して説いた。 在家信者に、出家者の修行を薦めても、たいていは苦しみ混乱するだけで無益だと分かっていたからだ。 出家者への教えと戒律は、「存在の意味」に最短距離で直結させるためのものだ。 「…

どっちも、ろくでなし

何かを変えないと、このままずるずる破滅まで行ってしまう。 何を変えればいいのか。 何が変えられるのか。 ほんのちょっとしたことだ。 後で、すっかり手遅れになってから、こんな簡単なことだったのかと、愕然とするようなことだ。 しきりに、早く決断しろ…

くだらない争いの種

以前聖書を渡してくれた人(宣教師?)が久しぶりに来訪。 個人としては良い人だと思うが、 自分たちの神が唯一絶対で、呼び名も含めてそれしか認めないのなら、しょせん世界にくだらない争いの種をばらまいていることになる。 一神教の結論は参考にならない…

人間の孤独性

若いころは、人生が、かほどまで孤独なものだと思わなかった。 自分の周りを「そうじゃない」と錯覚させる装置が囲んでいたので。 考えることが、この上なく煩わしいのはいうまでもないが、感じることだって、結局その場だけの刺激だと分かると、煩わしくな…

聖書の言葉

今日は、なにも思いつかないので、 聖書の言葉を、いくつか。 「神は人間をまっすぐに造られたが 人間は複雑な考え方をしたがる」 (コヘレトの言葉7,29新共同訳) 「むなしい者にはむなしいものが与えられ、 豊かな人々には豊かなものが与えられる」 (エラ…

最優先事項

人間は、ものごとの優先順位を、ひどく間違えているではないか。 たとえ、世界一成功しても、ごまかしのない自分を生きていなければ、死んでいるも同然だ。 生きるためには、ごまかしのない自分を世に出さなければならない。 最優先事項だ。 しかし、これが…

呼応

仏教とキリスト教に、様々な呼応関係を見つけて喜ぶマニアックな趣味が、おれにはあります。 「神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます」 (エフェソの信徒への手紙4.6新共同訳) 言い方はずい…