哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

托鉢するブッダと労働する農夫の緊張感ある対話

(スッタニパータ1・4概略) 

 

あるとき釈尊は、托鉢(たくはつ)に出て、手広く農業を営んでいるパーラドヴァージャというバラモンに近づき、そばに立った。 

 

パーラドヴァージャは、食を受けるために立っている釈尊に告げた。

「沙門よ。わたしは耕して、種をまき、働いた後で食べます。 沙門よ。あなたもまた耕して、種をまき、働いた後で食べるべきです」 

 

釈尊

バラモンよ、わたしも耕して、種をまき、働いた後で食べるのです」

 

(パーラドヴァージャ)

「あなたは耕作者であるとみずからいっておられるが、あなたが田畑を耕しているのを、わたしは見たことがありません。おたずねします。あなたが耕作者であるというわけを説明してください」

 

釈尊

「信仰はわが播く種である。 苦行は雨。 知恵はわが(くびき)(すき)慙愧(ざんき)は鋤棒。 意は縛る縄。 念は鋤先と鞭。 身を慎み、口を慎み、食を慎み、真理をもって草を刈る。 柔和がわがいこいである。 精進努力がわが牛であり、安穏(あんのん)の境地に運んでくれる。 退くことなく、そこに至ったなら、もはや憂えることはない。 この耕作はこのようになされ、甘露の果を収穫し、いっさいの苦しみから開放される」 

 

パーラドヴァージャはハッとした。 

(以上)

 

 

おれは昔、初めてこれを読んだとき、釈尊が詭弁を弄していると思った。

 

 今、まったくそうは思っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DVDを観る

 

「クルーエル・インテンションズ」中佳作。  

原作が優れている。

ラクロの「危険な関係」だ。

 何度も映画化されている。 

これは主役を現代の高校生に、舞台をアメリカに上手に置き換えたもの。 

本作の続編としてクルーエル・インテンションズ2と3が製作されている。

 

(過去記事編集再録)