(ブッダの言葉 マルク・ドゥ・スメト編 中沢新一+小幡一雄訳)より引用します。
……自分の心を整えようとする者は、何の像も映らなくなった、汚れた鏡を持っている人に似ている。
その人が鏡を磨くと、汚れがとれて、そのとたんに鏡には、はっきりとした像が映るようになる。
貧欲と怒りと愚かさを遠ざけた者は、よく磨かれた鏡に似ている。
そうして、彼は注意深く、次のように瞑想するのである。
「空の下にあって、変化しないものはなく、なにものも永続することはない」
(引用終)
ヴィパッサナー瞑想をやっていて、以前1回だけ急に心の中の景色がクリアになって「ギョッ」としたことがある。
「汚れがとれて、そのとたんに鏡には、はっきりとした像が映る」
生まれてからこの瞬間までずっと視界がぼけていたことに気づき、衝撃を受けた。
もしこういう体験がなければ、おれはその事実をまったく知ることができずに死んだにちがいないと、この時初めて、思いあたったからだ。
当然これを再体験し確認したい気持ちが強いから、あまり上手くいってないが、ヴィパッサナーは今も続いている。
空の下にあって、変化しないものはなく、なにものも永続することはない
一言でいえば
無常
だが、空しい幻想に頼ることなしに苦も無く死にゆくブッダの態度は、なんびとたりとも至難だ。
無常が本当にわかっている人はまずいないということだ。
(過去記事増補編集再録)