ショーペンハウアーを扱き下ろす三木清の言葉を引用します(「語られざる哲学」より)
生の無価値にして厭うべきことを説きながら、自らは疫病を恐れて町を飛び出したり、ホテルでは数人前の食をとったり、愛人と手を携えてイタリアを旅した彼の哲学は、インド思想と共通な涅槃を説きながら、その基調においては悩しき青春の爛熟期の哲学である。
( 引用終)
ショーペンハウアーについての現在も続く、わけの分からない紋切り型批評の典型がここにある。
生の無価値にして厭うべきことを説くことと、疫病を恐れて町を飛び出したり、ホテルで数人前の食をとったり、愛人と手を携えてイタリアを旅することは、必ずしも矛盾しない。
生の無価値にして厭うべきことを説く理由は、それを事実だと知ることが涅槃に至る道の唯一の入口だからだ。
青春の哲学の涅槃を説くことが矛盾だとも、おれには思えない。
一切皆苦(苦聖諦)に対する世間の本能的嫌悪感と恐れと無理解が、この問題の根底にある。
(過去記事増補編集再録)