伝統的な浄土教学が、上根下根の概念に対する本腰据えた「価値の逆転」を企図した。在家念仏者は出家より勝れていると主張したがってる。
(浄土三部経を素直に読めば、そんなおかしな判断はできないはずなのに)
ここから始まってやがて言葉の価値がゆっくりとひっくり返り、下根こそ実は上根だということになった。
いまでは非常に多くの人が、公然と肉食妻帯した親鸞こそ最も勝れた仏教者(上根)だと言う。
親鸞の後に生まれ念仏運動の最終走者一遍になると、自分の実体験・実感から、浄土思想の先達が苦労して意味を逆転させた概念はそのまま認めたうえで、もう1回ひっくり返し「自分は下根だから万事捨離する(出家する)」と宣言した。一遍の本意でないにしても、実質的に逆ねじを食わせたことになる。
上根下根の価値が2回ねじれて、ある意味元に戻った。
既存の大乗仏教をブッダの直説と誤認したところから発展した浄土教学は、認識がややこしくねじれて、結果、ブッダに濡れ衣の非難を浴びせてる。
(ブッダの教えを双樹林下の往生と貶めた)
(My Favorite Songs)
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