おれ自身を含むたいていの人が空腹を首尾一貫して不快・苦痛と決めつけてるが、これは固定観念(強固な思い込み)であって、事実ではない。
過食によって肥満し不健康になった身体を健康体に戻す減量過程で感じる空腹は快感・安楽だと気づくことが可能だ。 これこそが事実だからだ。
今感じている空腹が苦痛なら、耐える苦労が常に必要となり、そのうち挫折する他ない。
しかしこの空腹が快感・安楽だと気づけば、その瞬間から、何の苦労もなくなる。
リバウンドを誘発するストレスも生じない。
それは自然本来のことだからだ。
この「気づき」はごく初歩的なものだが重要で、他のすべてのことにも通じる原理的ターニングポイントになる。
(この初歩的気づきを高度に洗練させた
ブッダの気づき(サティ)こそ
あらゆる問題を解決する最強の力
になるからだ)
ところが実際は、別の深刻で根本的な問題がからむので、そんなにスムーズに事は運ばない。
大多数の人がダイエットに失敗し続ける本当の原因もココにある。
それは
退屈と苦痛の間を
死ぬまでループする
凡夫の悪癖
が食べることに現れてる場合だ。
苦労して減量しても、しばらくするとやがて退屈に耐えられず、たいして腹も減ってないのにまた過食し始め、リバウンドで一層悪化する
ダイエット技術でできることは、せいぜい凡夫の悪癖を食欲以外の欲にずらすことであり、その効果は限定的だ。
それはループの軌道を一時迂回させただけで、いずれ戻ってくるからだ。
残念ながら、これは各種ダイエット技術や根性論で対処できるような浅薄な問題ではない。
この問題は、初歩的な「あさい気づき」では対処しきれない。
これを根本的に解決するには、
サティ※の持続的実践によって「あさい気づき」を「はっきりした気づき」に育て、自分の煩悩の構造を明晰判明に体得する以外にない。
※サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。
※ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること。
梶 芽衣子。
『女囚さそり』シリーズ、近所の東映で何本か観たなあ。内容はもう忘れたけど。
当時、映画館が宣伝のために大音量で外に流してた挿入歌「怨み節」が、家中に響き渡ってた。これに誰も文句いわなかった。時代だよなあ~いまだに耳の底に残ってる。
後年「キル・ビル」で聞いた時(あ!…あの曲だ!)と数十年ぶりに思いだした。
怨み節/梶芽衣子
(過去記事編集再録)