哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

他力浄土系 キリスト教

自虐すぎません?

以下のごとく自ら反省せよというのだが…いささか自虐的に過ぎるのではと、ちらっとおもってしまいます。 外に賢善の相を現してはならぬ。内に虚仮を懐いている身である。貪瞋(とんじん)、邪偽(じゃぎ)、奸詐(かんさ)の端(いとぐち)さまざまで、その悪性の止…

この上なく大切なブッダの筏

釈尊の獅子吼「筏(いかだ)のたとえ」は、 河を無事渡りおえた人は筏を捨てて身軽に行きなさい という教えだ。 www.kosonji.com 向こう岸に渡り終えたら棄てるべき筏(いかだ)も、いまだ渡れないでこちら岸にいる者にとっては、この上なく大切にされるべき事情…

アメリカ人の自我が神となった宗教

日米関係において、日本が昔も今もアメリカの真意をろくすっぽ読めずに大失敗する根本原因は、日本人がアメリカ人の宗教心にまるで無頓着なところにある。宗教大国アメリカには、「アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための一神教」末日聖徒イエス・…

ざんしゅつげんぷくもつ(暫出還復没)

親鸞聖人『教行信証』化身土巻に「涅槃経」の気になる教えが引用されている。 四つの善事あり、悪果を獲得せん。 悪い結果になる善行が四つある、というのである。 こういう善を実行してはつまらないわけだ。 (以下、青字は経典引用文、黒字はおれの試訳と…

悲惨極まる死を遂げた夫婦の件

(使徒言行録4:32,5:1~11 新共同訳から引用します) (イエス・キリストを)信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。 … ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売…

本当は過激な法然上人

法然上人のことば。 (黒谷上人語燈録15 禅勝房伝説の詞より引用します) 一(ひとつ)。現世をすぐべきようは、念仏の申されんようにすぐべし。 念仏のさまたげになりぬべくば、なになりともよろづをいといすてて、これをとどむべし。 いはく、ひじりで申さ…

訳し方で、同じ文の印象がずいぶん変わる

今もたまに聖書を見る。 思うべきことをこえて思いあがらぬように。 神が分かたれた信仰の量に従って節度ある思いをするように。 (ローマ書12・3より 世界の名著「聖書」前田護郎訳) ※新約聖書を、便利な脚注付きの電子ブック版で読むことができます。 →前…

妄念の外に別の心などない

横川法語。恵心僧都・源信大師のことば。 人間と生るること、大いなるよろこびなり。 身はいやしくとも、畜生におとらんや。 家まづしくとも、餓鬼にはまさるべし。 心におもふことかなはずとも、地獄の苦しみにはくらぶべからず。 世のすみうきは、いとふた…

人が採りうる最良の態度

A.自分の救いのために、困っている人を助けようとする。 これは、非難はされないにしても、少なくとも最良の態度ではない、不純な動機が混じっているから、と思っていた。 B.ただ、困っている他人を見て、かわいそうだ、きのどくだと思い、その気持ちのま…

身につまされる言葉

…わたしが得たのはただ納得であって、信仰ではなかった。… 多くの経典や研究書を耽読した三十歳代であるが、絶えず了解し、絶えず迷い、結局そこに残ったのは「知識」であったといえる。 (鷲巣 繁男 遺稿集より) 実に身につまされる言葉だ。 宗教に興味な…

証を覚前に獲る

道元禅師の言葉をもうひとつ。 知るべし、 行を迷中に立てて、 証を覚前(かくぜん)に獲(う)ることを。 (永平初祖学道用心集「仏道は必ず行に依りて証入すべき事」) 行は迷いながら、それでもやり遂げるものである。 普通は、証を獲て、はじめて迷いは消え…

聖書の言葉

聖書の言葉を少しだけ 心を尽くして知恵に近づき、 力を尽くして知恵の道を歩み続けよ。 足跡を追って、知恵を探せ。 そうすれば、知恵が見つかるだろう。 しっかりつかんだら、それを手放すな。 ついには、知恵に憩いを見いだし、 知恵は、お前にとって、喜…

まず有縁を

親鸞は、父母への孝養のためと考えて、追善供養の念仏を称えたことは、まだ一度もない。……すみやかに浄土に生まれてさとりを開いたならば、…なにをおいてもまず自分と縁の深い人々を救うことができよう (歎異抄5石田瑞麿 現代語訳) 原文全 親鸞は父母の孝…

出家と在家

釈尊は、出家修行者用の教えと、在家信者用の教えを、区別して説いた。 在家信者に、出家者の修行を薦めても、たいていは苦しみ混乱するだけで無益だと分かっていたからだ。 出家者への教えと戒律は、「存在の意味」に最短距離で直結させるためのものだ。 「…

ネガティブ自信

仏教とは、ありのままの自分を深信することだ。 この「自分を深信すること」が、親鸞のように、完全に、ほとんど自虐的なまでに ネガティブ に自覚、表明される場合がある。 以下の言葉は、その徹底ぶりによって詩に昇華している。 浄土真宗に帰すれども 真…

絶妙の仏教

親鸞は「教行信証」で『観経義疏』を引用して、説いている。 いま浄土の経典はいずれも一様に魔の障りを説かない。したがって、この教えには魔の障りがないことを、はっきり知ることができる。 それに対して、禅等の自力修行は魔の因縁を持っている。 もし、…

主張1

人の心はほかの何物にも勝って実がない。誰がそれを知りえようか と聖書に書いてある。(エレミア書17-9) たいていの人間は、その何物にも勝って実がないものに頼って生きている。 仏陀が 良く整えられた自己こそが唯一頼れるものだ と教えた自己とは、…

適応で満足するな。応答しろ。

(吉本隆明「良寛」から引用) 親鸞の解釈の仕方によりますと人間は具体的に生きているとか死んでいるとかいうところ、つまりその人がその人であるというところでは人間は本質的な存在ではない、というのです。これを現在のいい方でいえば、人間はいつも現に…

あなたはパウロに現れたのに、どうして、私に現れないのか

田中小実昌『アメン父』より引用。 「あなたはパウロに現れたりしたのに、どうして、私に現れないのか」 と父がけんかするみたいに言っている(祈っている)のを、母はなんどか聞いたそうだ。 (強調処理は私です。原文にはありません。引用終) 気持ちは痛…

迷信に身を任せて安楽…グロテスクな生き方

お守りは不安の泉~理性を育むと迷信は消える~スマナサーラ長老法話より …人が迷信に頼ることは、これからもなくならないと思います。皆、将来は不安です。 これから先、どうなるのかわからないのです。受験しても合格できるか、 商売しても繁盛するか、今…

自分の宗教を愛していても他宗教を尊敬せよ

「マザーテレサ 日々の言葉 いなます みかこ訳」9月3日のことばより引用します(青文字部分) この世界における核弾頭の存在は国家間に恐怖と不信を引き起こしています。 という切迫した状況下で真に恥ずべきは、宗教間でいつまでも咎めあって分裂していること…

親鸞「廻心は一度切」と道元の批判の関係

他力信仰者に 一発菩提心を百千万発するなり(昨日の記事) の教えは必要がない。 そのことは絶対神信仰構造に最初から分離できない形で含まれているからだ。 だから親鸞は安心して 廻心といふことただひとたびあるべし と説くことができた。 「一発菩提心を百…

四聖諦→苦聖諦→呼吸のサティ

苦しみを知らず、また苦しみの生起するもとをも知らず、また苦しみのすべて残りなく滅びるところをも、また苦しみの止滅に達するかの道をも知らない人々、── かれらは心の解脱を欠き、また智慧の解脱を欠く。かれらは(輪廻を)終滅せしめることができない。か…

自業自得の『終末の時』神も仏も嘆いたりはしない

マルティン・ルターが嫌った「ヤコブの手紙」は、一時異端視され聖書から削除されたが、おれは好きです。(後に、正典に戻される) 自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。(ヤコブの手紙1・22より 新共同訳) わたしの兄弟たち、自分は信…

神と悪魔が天使達の前でどつき漫才やってる

旧約聖書朗読 ヨブ記.MP3 を聴く。 神とサタンが、大勢の天使の前でどつき漫才やってるようなもんだ。 舞台でどつき合っても楽屋じゃ仲がいいと思う。 この何千年も続く長い漫才のネタのためにどつきまわされてる人間は堪ったもんじゃない。 (過去記事増補…

「安心なんてないさ」というほんとの安心

御法語(法然上人行状画図)より引用します。 おほよそ佛教おほしといへども、所詮戒定慧の三学をばすぎず。所請小乗の戒定慧、大乗の戒定慧、顕教の戒定慧、密教の戒定慧也。しかるに、わがこの身は、戒行にをひて、一戒をもたもたず。禅定にをいて、一もこれ…

『三十四丁目の奇跡』クリスマスNO.1映画

まず 町山智浩さんの適切な映画解説 を聞きましょう。 あるがままの事実よりあってほしい幻想を必要とする大多数の人々に、まもなく迎えるクリスマスに向けて この名作映画をお勧めします。すごく気持ち良くなれること請け合いです。(けっして皮肉や嫌味で…

易行でも、本気ださないと難行になる。難行でも、本気だせば易行になる。

(教行信証・行巻 石田瑞麿訳)から。 この文は親鸞聖人が曇鸞大師『往生論註』から写されたものです。 曇鸞大師は、仏道修行成就を難しくする原因がおよそ五つあると説いています。 一つには、異教の徒(外道)の相対的な善は、菩薩の法を乱す。二つには、…

無常観門と罪悪感門

宗教に入る門は、大きく別けて二つあると思う。 無常観門と罪悪感門である。おれは無常観を深める努力によって仏法に親しくなっていく生まれつきらしい。おれがもし無理に自己の罪悪意識を深めようと努力し、それによって宗教的に深まろうとすれば必ず偽善に…

絶妙手の代償

(禅に聞け 澤木興道老師の言葉 櫛谷 宗則編)より引用します。 科学者の実験──それがわれわれの場合では修行である。実験のない科学がツマラヌように、修行のない仏教はツマラヌ。 (引用終) おれは仏教徒だが、仏教、キリスト教、イスラム教が深奥におい…