哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

大乗仏教もキリスト教も旧約聖書に飲み込まれ消滅する

 
 大乗仏教は、何千年も長い長い回り道をのろのろ歩いたあげくに、キリスト教に呑込まれ消滅する道だ。

 

 キリスト教はまた、何千年もかけて、旧約聖書(≒ユダヤ教)に呑込まれ消滅する道だ。
 
 イスラム教は旧約聖書への先祖返りで、本質的に同じものだ。
そして先祖返りは、今も多くの新興宗教に共通する指標だ。

 

 大乗とは何ぞや。
文学に簒奪された仏教だ。

文学として優れているが、さとりに向かい、さとりに流れ込み、さとりに入っていくことにならない。

 

 旧約聖書とは何ぞや。
文学の究極形だ。
他のあらゆる文学は、すべてここに呑込まれる
 
ブッダの教えだけが、そうではない。
 
 
 

 

 

 (音声8分45秒から)
ビジャイ
…信仰の道では我がなくならないとしたら、智慧の道のほうがいいということでしょう?

聖ラーマクリシュナ
そりゃあ確かに一人か二人は(智慧の道で)三昧に入って我執がなくなるよ。だが大部分の人はそこまでいかないんだ。千べん捨てようと決心しても、我はクルリと戻ってくる。智慧のヨーガは極端に難しいんだよ。…今は末世…信仰の道は楽な道だ。

 

 

 

だが、信仰の道は【易往而無人

実際に往く人はごくまれで、

大部分の人々はグループ呆けし、肥大した自我を神我と僭称するという大偽善をやらかし、神の名において我欲を通さんとする。

 ここでも我はクルリと戻ってくるのだ。

 

事実として妄信になりやすいこの道が、まき散らす害悪はとてつもないものだ。

神のご加護を!と叫びながら戦争する連中を見よ。

神はその責任を露ほどもとらない、無関係なのだから当然だが。

 

 

 

 

 

おれは、やはり
ブッダ智慧の道が最善だし
これしかないとおもう。
難しすぎる、不可能だというけど、
阿羅漢果を得た人は、
ブッダ在世から大勢出てる。
昔の人にできて、
今の人にできない道理はない。

できてもできなくても

本物はこれしかないとおもう。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 (My Favorite Songs) 

ルイ・アームストロング
「この素晴らしき世界」

 
(過去記事統合増補編集再録)