哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

悲惨極まる死を遂げた夫婦の件

(使徒言行録4:32,5:1~11 新共同訳から引用させていただきます)


イエス・キリストを)信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。 …

ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
すると、ペトロは言った。
「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。
そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。
若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。
それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。
ペトロは彼女に話しかけた。
「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。」
彼女は、「はい、その値段です」と言った。
ペトロは言った。
「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」
すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。
青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。
教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。

(引用終)





 昔、あるキリスト教宣教師に「十分の一税」の説明を受けた時(当時目を通した会報によると、収入の1/10に満たない献金でごまかす信者が多いことが一度ならず問題になってた)おれはこの悲惨極まる死を遂げた夫婦の件を思い出し
「これは痛ましすぎる話だと思う。あなたはどう思いますか」
と訊いた。
ところが、意外にも
「えっ、そんな話があるんですか?」
と返されて拍子抜けした覚えがある。

ほんとに知らなかったのか、そうではなかったのか、今となっては確かめようもない。
しかし宣教師ともあろう者が聖書のこの強烈なエピソードをまったく知らんというのは不自然すぎる。

知っていたが意識記憶から消えていたということか。

だとすればその理由は?

 

現代、講壇に立ってこの話をし「十分の一税」が義務である信者に(義務ではなく個人の気持ち次第でよいとする宗派もある)「十分の一税をごまかしている者は、この夫婦のように息が絶える」と告げれば、大量の死者が出なければならない。

 

もちろん現実にはそんな人間性を無視した残酷なことは起こらない。

 

むしろ宣教師の孤立と信者の大量脱会が起きる可能性のほうが高い。

 


宣教師はその矛盾を避ける必要からこのエピソードを下意識に抑圧したと、おれは想像する。

 


十分の一税 - Wikipediaより

あなたは、毎年、畑に種をまいて得る収穫物の中から、必ず十分の一を取り分けねばならない 。

申命記14章22節)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 (過去記事増補集再録)