道元が比叡山で勉強中に
(人間は生まれながら、そのままで
仏性が備わっている)
と教わった。
道元は
「それなら、なぜわざわざ発心修行する必要があるんですか」
と至極当然の質問をした。
ところが、まともに答えられる高僧が一人もいなかったという嘘みたいな話がある。
しかたがない、道元は自分で答えを探しに中国まで行った。
そして、ようやく見つけた答えが、これだった。
麻谷宝徹禅師、扇をつかふ。
ちなみに僧きたりてとふ、風性は常に住して
師いはく、なんぢただ風性常住を知れりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理を知らずと。
僧いはく、いかならんかこれところとして周ねからざる底の道理。
ときに師 扇をつかふのみなり。
僧礼拝す。
…常住なれば扇をつかふべからず、つかはぬをりも風をきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。…
(道元禅師『正法眼蔵』「現成公案」)
風の本質は常住だが、扇であおがなければ風は現れない。あおぐのを止めると風は消える。
衆生本来成仏であるが、修行しなければ仏性は現れない。修行を止めると仏性も消える。
「修行=悟り」が道元禅師の解答です。
「ダロウェイ夫人」中佳作。
地味な映画だがわりと良かった。
ただ、分かりにくい映画で、2回観る必要がある。
ダロウェイ夫人とセプティマスが一度も話をしないまま終わるのは、いかにも文芸作品という感じ。
ヴァージニア・ウルフの原作ははじめ「時」という題名だったそうだが、そのほうが内容を現している。