「知るべし、行を迷中に立てて、証を
(永平初祖学道用心集3)
行は迷いながら、それでもやり遂げるものである。
普通は、証を獲て、はじめて迷いは消えるが、それは迷中の行の力であろう。
実は、気づこうと気づくまいと、証は迷中の行としてはじめから現れている。
「迷中の行=証」である。
この事実に気づけば、「証を覚前に獲る」ことが可能になる。
ちなみに、この同じ事実が人格神宗教の文脈で発見されると、たとえば
「心安らかにしなさい。あなたがわたしを見出していなかったら、あなたはわたしを求めはしないだろう」(パスカル 「パンセ」イエスの奥義)
と表現されることになるのだ、とおれは思う。
「大魔神」上佳作。
昔、映画館で観た。久しぶりに観たが、やっぱり名作だ。
シリーズ2作目「大魔神怒る」も続けて観たが、こっちは良くなかった。