哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

証を覚前に獲る

道元禅師の言葉をもうひとつ。


「知るべし、行を迷中に立てて、証を覚前(かくぜん)()ることを。」

(永平初祖学道用心集3)



行は迷いながら、それでもやり遂げるものである。

普通は、証を獲て、はじめて迷いは消えるが、それは迷中の行の力であろう。

実は、気づこうと気づくまいと、証は迷中の行としてはじめから現れている。


「迷中の行=証」
である。

この事実に気づけば、「証を覚前に獲る」ことが可能になる。

ちなみに、この同じ事実が人格神宗教の文脈で発見されると、たとえば
「心安らかにしなさい。あなたがわたしを見出していなかったら、あなたはわたしを求めはしないだろう」
パスカル 「パンセ」イエスの奥義)
と表現されることになるのだ、とおれは思う。





GyaOで観る
大魔神」上佳作。

昔、映画館で観た。久しぶりに観たが、やっぱり名作だ。

シリーズ2作目「大魔神怒る」も続けて観たが、こっちは良くなかった。