哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

馬祖道一

百丈禅師の師は馬祖道一禅師。


平常心是道(びょうじょうしんこれどう)で有名な人。

迷に対して悟を説くに、本より既に迷の無ければ、悟もまた立たず。一切の衆生、無量劫より、法性三昧を出ず。長く法性三昧中に在り、着衣喫飯、言談して祇に対す。六根の運用、一切の施為、尽く法性たり。 … 汝等諸人、各々自心に達して、吾が語を記する莫かれ。

迷いに対して悟りを説くのに、本より迷いが存在しないのならば、悟りも立てようがないではないか。一切の生きとし生けるものたちは、遥かな昔から、法性三昧の外に出ることがなかった。長い間、法性三昧の中にあって、服を着て飯を食い、話しをしたりといった具合いに生活をしてきたのだ。その、六根の運用、あらゆる行いが、ことごとく法性(=仏性)であったのだ。 … (会下の衆僧に対して)諸君、各自が自らの心に到達せよ、私の言葉を記録するな。



若し直ちに其の道を会せんと欲すれば、平常心是れ道たり。何をか平常心と謂わん。造作なく、是非なく、取捨なく、断常なく、凡なく聖なきなり。(維摩)経に云う、凡夫行に非ず、聖賢行に非ず、是れ菩薩行なり、と。只だ如今の行住坐臥、応機接物、尽く是れ道たり。
(以上、出典: フリー引用句集『ウィキクォートWikiquote)』)

自分を深く信じる人の言葉です。


(追記 070907)
この教えは、修行もしないで良いという「そのまま主義」ではない。
「そのまま主義」は、各人の欲のまま、怒りのままでよいということで、正しいわけはないのだが、それにもかかわらず多くの人が陥る誘惑だ。





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彼岸花」「秋日和」「小早川家の秋
この辺の小津作品はマンネリ。