哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

澤木興道

今日は澤木老師の言葉をいくつか

たいがいの人間のやることは、べつにはっきりした人生観があってやっているのではない。
ただ肩の凝った時にトクホン貼ってみるぐらいの、まにあわせの人生観でやっているのでしかない。

みんな自分自身そのなかにつかりこんでいるから、そこに「何でも何ぞあるかのように」思いこんでやっておるが、じつは人間の一生は、みんなあのツバクロと変わりはない。
オンタは餌ひろい。メンタは卵ぬくめ。

受験予備校でカンニングする奴がある、予備校でカンニングするようでは、本当の試験のときカンニングせねば通れぬのに決まっておるが、---そのばかさ加減は折れて曲がって念が入って、風流すぎる。
しかし、じつはそれと同じばかさ加減を、世の中すべてやらかしておる。

人の物を盗めば、もはやそれだけでりっぱな泥棒に決まっておるのに、今の奴は警官がつかまえ、検事がしらべ、判事が判決をくだし、牢屋へ入ってはじめて罪人になるのだと思っておる。
じゃから政治家の汚職なども、それをもみ消してのがれれば、やっぱり自分は徳者だとおもい、甲斐性もんじゃとおもうておる。
---それほどグループ呆けしておるんじゃ。


文化、文化と言うけれど、ただ煩悩に念が入っただけのものでしかないじゃないか。
煩悩のシワが、いくら念が入っても、仏教からいえば、進歩とも文明とも言わぬ。
いったいいま進歩、進歩と言うが、
どっちゃ向いて進んでいるか。

「澤木さんの話を聞いていると、信がさめる」と言う。
もっと信を冷ましてやろうと思っているのだ。
どうせそんなのは迷信でしかないのだから。
「澤木さんの話を聞いても信はおこらぬ」と言う。
迷信がおこらんだけの話じゃ。

(以上、「禅に聞け」澤木興道老師の言葉)


人間がこの世の中に生まれて来るのはただ一度です。

欲の深い者に本当の勇気があろう筈がない。

解脱と云うことは少欲です。

足ることを知ると云うことは、前後を裁断してそれになり切ると云うことである。

現在を見つめるのです。現在の心持を尊ぶのです。そこに不変の大生命があるのです。

(以上、澤木興道全集2「禅談」)





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「ピ-ターパン」中佳作

内容は超一流。アニメは二流。いくら原作がよくてもアニメが下手では。