月差す指
宗教の世界では、よくことばを月差す指にたとえる。
もし人に、月がはじめから見えなかったら月ということばは生まれないだろう。
では、一人だけに月が見えて、他の誰にも月が見えなかったらどうか。
月ということばは、やはり生まれない。
たとえ、そのたった一人月が見えている人が、月ということばを作っても、彼(彼女)以外の誰もその言葉の意味を理解できないから、誰も使おうとしないだろう。
交通しないことばは、たちまち消えてしまう。
さて、ここに存在に関するひとつのイメージがあるとしよう。
このイメージには名前がない。
ことばとして交通するほどたくさんの人にイメージされたことが、かって一度もないからだ。
例外者によって時々イメージされることはあるので、その度に、その認識者が苦心惨憺してことばを作る。
当然、交通しないからすぐ忘れられてしまう。
あるいは紙に書き残したために、ことばは残っていても、意味不明なものになっているか、誤解され呪いの言葉になって交通している。
「月差す指」に、指を見て月だと思い込むからだ。
別の時代、別の場所で新たな例外者がそのイメージに達する。
その人が、その意味不明のことばを見ると、パッと元の意味が分かる。
この運動は、何千年も繰り返されているが、常に単発的であるため、世界を変えるほどの力になったことはない。
「アップルシード」上佳作
「ストレイトストーリー」上佳作。シンプルな美。
「ボボボーボボーボボ1」上佳作。
「カンフーハッスル」上佳作。期待どうりの出来。この監督はいつもいい。
手塚治虫「陽だまりの樹」全6巻読了。たいていの小説よりよっぽどいい。第一読みやすい。