絶妙の仏教
親鸞は「教行信証」で『観経義疏』を引用して、説いている。
「いま浄土の経典はいずれも一様に魔の障りを説かない。したがって、この教えには魔の障りがないことを、はっきり知ることができる。」
それに対して、禅等の自力修行は魔の因縁を持っている。
「もし、聖者のさとりをえたと考えたりすると、かならず魔の障りを受ける。」
(石田瑞麿 現代語訳)
おれは、これこそ、浄土の教えの最大のメリットだと思う。
ちょっとでも修行したら、すぐ分かる、
この魔の障りがいかに悩ましく、それのないことがいかに魅力的かが。
キリスト教のような超越的絶対神を認めたら、仏教にならないが、浄土の教えは、ぎりぎりのところで踏み止まっている
絶妙の仏教
だと、おれは思う。
ただし、浄土系に限らず全ての大乗仏教は、超越的絶対神を認めたがる一般信者の無意識の圧力に常に晒されている。
「…このよの道俗ことごとく
外儀は仏教のすがたにて
内心外道を帰敬せり」
(正像末和讃 愚禿悲歎述懐7)
ということに、どうかなりませんように。
「CODE46」中佳作。朦朧作品だが、未来の悪夢を表現しようとする心意気と努力は買う。
「オペレッタ狸御殿」?。鈴木清純、やりすぎ、ついていけない。おもしろくない。