若いころは、人生が、かほどまで孤独なものだと思わなかった。
自分の周りを「そうじゃない」と錯覚させる装置が囲んでいたので。
考えることが、この上なく煩わしいのはいうまでもないが、感じることだって、結局その場だけの刺激だと分かると、煩わしくなる。
人間の孤独性は、鼻が縦に眼が横になってるのと同じレベルのことで、個人の心持でどうこう変えられない。
むなしい共同錯覚世界の住人でいることは可能だが。
パラドックスだが、孤独に気づいた者どうしに共感が生まれる。
否定によって始めて肯定される真実は珍しいことではなく、あるレベルの認識のパターンだ。
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