ここにまず立たない者には、そもそも仏教が始まらないという意味で、釈尊の教えの事実上の核心でもある。
世間は一切皆苦が事実であることを全然知らないが、その問題は以前に何度か書いたので、今は措く。
※ 参考 20/7/27記事
今回フィーチャーしたいのは「一切智」についてだ。
当たり前のことを言うようで恐縮だが、
一切皆苦と断言する者は、当然「一切」を知る者でなければならない。
大多数の人は、こんな当たり前の疑問さえ持たずに、聞き流して、なんとなく知ってるつもりになっている。
だから、何一つはっきりとわからないままで、つぎつぎ自業自得の一生を終える。
釈尊は
わたしは一切智者だ
と明言している。
だからこそ、一切皆苦とか一切衆生とか(あるいは諸行無常とか諸法無我とか)言ってもナンセンスにならない。
さて「一切智」「一切智者」とはなにか?
気になる人は、ググって。
今は便利な世の中で、ワンクリックで釈尊の明快な教えを簡単に見ることができるんだから。
(My Favorite Songs)
タートルズ。
懐かしい「ハッピー・トゥギャザー」
(過去記事統合増補編集再録)