哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

禅寺の食事

 
 おれは昔、少しの期間だが坐禅をするため仕事帰りや休日に禅寺に通っていた。
 
 通いはじめて1年以上経ち、泊めてもらったりもしたが、誰からも一度も名前すら訊かれなかった。
おれだけでなく、この寺ではそれが普通のようだった。
これこそ本当の大人(だいにん)の世界だとおもった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
食事・宿泊無料、さらに坐禅の後(曹洞宗の寺だったので)毎回沢木興道老師の貴重な提唱録音テープを聴かせてもらい、抹茶と高級和菓子がふるまわれた。
 
しかし、食い物目当ては一人もいなかった。
おれには最初それが意外だった。
 
当時、ホームレス達が、近くの公園にもたむろしていたからだ。
ホームレス達はなぜ飯目当てに寺に来ないのかとおもった。
寺に行けば、名前も訊かれず食事にありつけ、泊めてさえもらえるとたとえ知っていたとしても、そのために何時間も坐禅させられるくらいなら死んだほうがましとおもい、近よろうとしなかったのだと、おれはおもう。
 
禅寺は、真の大人のための優れたシステムなのだ。
 
それにしても、世間の人間って抜け目ないようで、そのじつゴッソリ抜けてるんだよ。
 
 食事の終わりに漬物とお茶で応量器を全部洗い、最後にそのお茶を飲みほすのが、この寺の作法だった。
 
おれは、これがどうにも嫌で、とうとうばっくれた。
くだらない理由で、なさけない。
 
 
 
 その後引っ越した街で、地元の曹洞宗の寺に飛び込んでまた休日坐禅に通いだした。やはり名前も住所も一切訊かれなかった。この寺は公に禅道場は実施しておらず、坐禅は毎回おれ一人だった。
 
食事も宿泊もしなかったが、坐禅の後、若い住職が、おれひとりのために、テキストを用意してマンツーマンで禅の講義をしてくれた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   (My Favorite Songs) 
 
 
(過去記事統合増補編集再録)