哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

人生が無意味だからこそ真の救いはある

 
 
 大多数の人々は事実と真正面から向き合うことをしない。
あらゆる問題を解決するには、常に例外なくそうするしかないのに。
その代わりに、こうあって欲しいという、事実に反する幻想を望む。

すると中途半端な商売人が、すぐその空気を読んで、人々の望みどおりの都合のいい作り話を提供する。

人々はそのまぼろしの「事実」に飛びついてしがみつき目をつぶる。
世間は我存在を絶対視したために、死など無いという作り話にしがみつくほかしようがなくなったのだ。

 

こうして問題の解決は先延ばしにされ、局面がさらに悪化していく。

 

 
 
 釈尊の着眼は世間と真逆だ。
 
死は100パーセント確実だから、
世間が絶対視している
我存在こそが怪しい
 
と見抜いたのだ。

 

 
 
 
昔の記事「第一歩さえ踏み出せば、後は一本道になる」で、こんな風にも書いてました。引用します。

 

 人生の問題を解決する唯一の方法は、幻想を捨てて事実を受け入れることだ。
事実を受け入れることは問題解決の第一歩に過ぎないが、少なくとも確実にいえるのは、これ以外の方法では問題解決が不可能になるということだ。

誰でも死ぬから、人生は無意味だ。
これは疑いようのない明白な事実だ。

しかし「死んでしまうんだから人生に意味無し」と口に出せば、世間で馬鹿扱いされるのがおちだろう。
世間は問題解決の第一歩が怖くて踏み出せなかったので、みんなで共同幻想に逃げ込んだからだ。
最大のピンチこそ最大のチャンスかもしれないとは夢にもおもえない臆病者達。

 
一切皆苦と明言した釈尊は逃げなかった。
いや、逃げようがなかった。
人生は無意味だとはっきり気づいた人に、逃げるという幻想の脇道がもはや存在しないので、残った事実という一本道を行くしかないからだ。
 
釈尊は最後まで真っ直ぐ突っ切って、問題を正面突破で見事に解決した。

おれも逃げることだけはしない、最後までたどりつけなくても。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 (My Favorite Songs) 
レッド・ツェッペリン
「Good Times Bad Times」


Led Zeppelin - Good Times Bad Times (Official Audio)

 

ロバート・プラントの、それまで耳にしたことのなかった大声量の高音ボーカルはほんと衝撃的だった。
ジミー・ペイジのバカテクギターは、それだけでじゅうぶんすごいが、作曲家、プロデューサーとしても一流。
偉大なロックバンドでした。
 
 
ジミー・ペイジとくれば、ジェフ・ベックも聴きたくなる。
こういう大らかなバカテク曲、大好き。感謝。
ここまで自由自在の演奏は並大抵の修練ではないだろうが、聴いてるほうは、ただただ楽しい。感謝。
「ジェフズブギー」 
 
(過去記事統合増補編集再録)