哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

臭いものは元から絶たなきゃダメ

ブッダの真理のことば344 中村 元訳)から引用します。

 愛欲の林から出ていながら、また愛欲の林に身をゆだね、
愛欲の林から(のが)れていながら、また愛欲の林に向って走る。
その人を見よ!
束縛から脱しているのに、また束縛に向って走る。

(引用終)






 まあ、人間も火の中に飛び込んでく虫とたいして変わらんですね。
そうなるようにできてんでしょうねえ、遺伝子レベルで。

だから頭で分かっても身体がゆうこときかんと。

そのうち頭のほうが根負けして、欲望を賞賛し、身体の下僕になり下がるパターン、多いですね。




「分かっちゃいるけどやめられない」じゃ、

やっぱどうにもならんね。

じゃあどうするか。対策。



(同283)より引用します。
一つの樹を()るのではなくて、
(煩悩の)林を伐れ。
危険は林から生じる。
(煩悩の)林とその下生(したば)えとを切って、
林(煩悩)から脱れた者となれ。…

(引用終)




 各個撃破は不経済で結局徒労に帰すこと多し。
イムリミットでアウトになるからね。

 人類のほんの一部分が遺伝子のコントロールに逆らってでも頑張るのは、
絶対ごまかせない「寿命」というタイムリミットの後押しがあるからでしょう。

このありがたい後押しに、ブッダは感謝を表し聖なる苦しみの真理(苦聖諦)と呼びました。


嗚呼それなのに
「自分は死んでも死なないんだ」という不可能な幻想にしがみついて逃げまわってる奴らは……

しばらく放っとくしかない。まず自分。






臭いものは元から絶たなきゃダメってこと。

やっぱりヴィパッサナー実践やるしかないってこと。















 さはさりながら、一気にいけなくて長く停滞するくらいなら、あえて各個撃破で突破口を開く


別解脱


と呼ばれるやり方ももちろんありです。


戒律を一つ守れば、

その分だけは確実に解脱する。

 

これをブロックのように積み重ねて解脱全体を完成させる道。


別解脱は、もともとひとつのものを、わざわざブロックに分ける。
全体のままでは手が付け難くても、分割すれば与し易くなる。
これはやがて西洋科学の手法に通じるものです。


 しかし欠点もあります。
一体不可分のものを切り分けた歪みで、積み上げたブロックが途中で崩れるロスが生じがち。
三歩進んで二歩下がれば上手くいってるほうで、どうしてもタイムリミットが気になってきます。

東洋的精神は、全体そのまま一挙に把捉することを好みます。
頓悟漸悟の対立で常に頓悟派が優勢なのはそのためでしょう。


それぞれに強みと弱みがあります。

結局どちらかひとつ選ぶというよりは、車の両輪のように互いに補いあってる関係かもしれません。


※ ヴィパッサナー実践

 

別解脱(波羅提木叉 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (My Favorite Songs)

マシュマッカーン。
「霧の中の二人」


As Years Go By - Mashmakan

 

 (過去記事統合増補編集再録)