1 サティの実践は、なにかをやりながら同時にそれを意識でトレースするダブルタスク作業だ。
2 人間の脳は、ダブルタスクではない(一度に二つのことを同時にできない)。
3 コンピュータは、1個のCPUでも、1秒を非常に細かく分割して二つの作業を交互にすばやく処理することでダブルタクスを実現している。
サティの実践は、このCPU的ダブルタスク処理回路を脳の中に作り上げる一大事業だとおもう。
余計なことを考えず(上に書いたことも余計だ)毎日1秒1秒ただサティを根気よく続けていれば、やがて時が来て自然にこの回路が完成するのだとおもう。
脳などしょせん腐って溶けてしまう肉に過ぎないからだ。
解脱の道「常に即今只今に生きる」ために、この回路が必要なのだとおもう。
※サティ 「気づき」のこと。
(Wikipedia サティ (仏教)より)
サティ…は、今という瞬間に完全に注意を集中して自分を客観的によく観察し、「今・ここの自分」に現在進行形で気づいていくことである。妄想に囚われずに今を生きるための実践であり、「サティを入れる」と表現することもある。サティは基本的に瞑想中にするもので、坐禅、経行、立禅の最中に行う。また、歩行時などの日常生活の簡単な動作の最中にサティを入れることもできる。熟練者になると、仕事中や会話中などの複雑な作業をしているときでもサティを行えるようになるとされる。
サティ…は、今という瞬間に完全に注意を集中して自分を客観的によく観察し、「今・ここの自分」に現在進行形で気づいていくことである。妄想に囚われずに今を生きるための実践であり、「サティを入れる」と表現することもある。サティは基本的に瞑想中にするもので、坐禅、経行、立禅の最中に行う。また、歩行時などの日常生活の簡単な動作の最中にサティを入れることもできる。熟練者になると、仕事中や会話中などの複雑な作業をしているときでもサティを行えるようになるとされる。
(My Favorite Songs)
(過去記事統合増補編集再録)