哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

メモ

 大乗仏教徒は教相判釈と称して、釈尊の教えを小乗と貶め、みずからの主張を醍醐に喩え大乗と自画自賛している。
自分たちに都合の悪い一切皆苦を傍らに追いやり、無我を大我にすりかえ、如来蔵・仏性を説き本覚に落ちて修行を無意味にし、あげくに世間法即如来法を究極の奥義に祭り上げる。
「世間と仏世界を別に立てるのは初心者である。真実には世法と別に仏法があるのではない」と主張するが、まちがっている。

作用だけがあって主体がない世界は森厳と存在している
 
からだ。
 
我を捨てようとしないすべての仏教徒は、常にこの予定調和の誤った奥義「世間法即如来法」に安着し、動物欲の忠僕になり終わる他はない。

捨身堅固ならずして、出離の道を修すること、全くかなうべからず。
(鈴木正三禅師 麓草分)

 

動物欲に使役された世法が仏法をも僭称する振舞は、正三道人のいわゆる世法即仏法の教えとは似て非なるものです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 (My Favorite Songs)  
ジェファーソン・エアプレイン。
「あなただけを」
グレイス・スリックの力強いボーカル。
 
(過去記事統合増補編集再録)