哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ショーペンハウアー

西洋哲学界のアウトサイダー・ショーペンハウアー

(ショーペンハウアー「幸福について」第4章 橋本 文夫訳)より引用します。 年老いた暁には、身は老いても老いることのない労作に青春の力をことごとく打ちこんでしまったということくらい、慰めになるものはない。 あきらかに、ショーペンハウアーは、自…

ショーペンハウアーへのワケわからん紋切型批評

ショーペンハウアーを扱き下ろす三木清の言葉を引用します(「語られざる哲学」より) 生の無価値にして厭うべきことを説きながら、自らは疫病を恐れて町を飛び出したり、ホテルでは数人前の食をとったり、愛人と手を携えてイタリアを旅した彼の哲学は、イン…

ニーチェはショーペンハウアーを超えたか

現世否定はまちがっている。欲望否定も良くない。というのが昨今の流行だ。 今に始まった事ではない。 ソドムとゴモラの時代から、抑える力が弱まればいつでも飛び出してくる強力なバネ運動のように、繰り返されてきたのだ。 今回の流行は、ニーチェ哲学から…

道徳教育は人を善人にするか

希望とは、ある出来事が起こってくれるように願うことと、その出来事が起こりそうだと思うことをとりちがえたものです。 (ショーペンハウアー「みずから考えること」心理学的覚え書 石井 正訳) 一般に、希望を持つことは、持たないより良いと信じられてい…

ショーペンハウアー3 罪を憎んで人を憎まず

「人間はひとたび生れればあとは永久に彼であり、自分が何であるかは、あとから追い追い認識していくのみである」 (ショ-ペンハウアーの主著「意志と表象としての世界・正編」第五十五節。西尾幹二訳・中央公論社。以下 55 と表記する) 「このような人に…

ショーペンハウアー2 道徳と法律の関係

道徳が第一義的に考察の対象とするのは、個人の良心である。 行為することによって他人の側に生じる結果は道徳の第一義的な直接の対象ではないし、そうであってはならない。 この逆をいくのが国家の法律である。 法律はもはや人間の良心などあてにしない。法…

ひさしぶりに、ショ-ペンハウアー

ひさしぶりに、大好きな哲学者ショ-ペンハウアーについて書きます。 ショ-ペンハウアーはカントの有名な定言命法(「汝なすべきであるがゆえになすべし」)を批判して「すべしというのは子供とか、幼稚な年令にある民族に向かって言うことであって、成人に…

読書

紙のうえに書かれた思想は、一般に、砂にのこる歩行者の足跡のようなものにすぎず、なるほど、その人のとった道はわかるけれども、その人が道すがら眺めたものを知るためには、だれしも自分自身の眼を用いなければならない (ショウペンハウアー みずから考…

生殖器を隠すごとくに

人は、自分の生殖器を隠すごとくに、自分の意志を隠さなければなりません。これら二つのものは、いずれも、存在の根ではありますけれども。 また、人は、自分の顔だけを他人に見せるごとく、認識のみを表わすようにしなければなりません、これを犯せば、卑俗…

怒りの毒

気の早い人たちは、必ず、自分が怒りはじめそうになったら、すぐさま、その事件を一時忘却するように、おのれにうち克つことを努めなければなりません。というのは、もしも、一時間後になってから、この事件に立ちかえってみるならば、彼らにとって、この事…

奇妙な事実

強弱多少のちがいはあっても、わたしたちは、ひとしく、自分たちの営む業のすべてにおいて、終わりの近づくことをこいねがい、早くすませようとあせり、できあがるのを喜びます。 (ショーペンハウアー「みずから考えること」心理学的覚え書 石井 正訳) こ…

希望という悪魔

希望とは、ある出来事が起こってくれるように願うことと、その出来事が起こりそうだと思うことをとりちがえたものです。 (ショーペンハウアー「みずから考えること」心理学的覚え書 石井 正訳) 一般に、希望を持つことは、持たないより良いと信じられてい…

名誉を失えば恥辱

名誉とは要するに、それを担う人が例外的な人物でないことを表わすものである。これに反して名声なるものは、その当人が例外的人物であることを表わす。だから名声はまずこれを獲得する必要があるのにたいして、名誉はこれを失わないように努めさえすればよ…

誇り

やっと自分のPCで更新できるようになった(東京の弟のPCは2日目更新した後不調になり、以後使わせてもらえなかった。 以前から気になっていたテーラワーダ仏教協会に行ってきたが、その報告は後日に)。 誇りというものが世間一般からは手厳しく非難さ…

退屈厭さに苦痛をのぞむ愚人

われわれ人間は、煩悩が苦痛をもたらすことを知ってからも煩悩を愛することを止めようとはおもわない。煩悩に動かされないでいるとすぐに苦痛より耐え難いと感じる退屈に苛まれるからだ。 こんな人間は解脱できるわけがないと、ブッダは明言している。(←相応…

健康

えー、ちょっと事情があって、今日から1週間、東京の弟の家に泊まります。更新は弟のPCを借りてやってます。コメントの返事が帰宅後になるかもしれませんが、悪しからず。 種々の財宝のうちで最も直接的にわれわれを幸福にしてくれるのは、心の朗らかさで…

自作自演の幻想

実生活のトラブルに精力を奪われ、更新できない日が続いている… この世には真の害悪があり過ぎるほどあるのだから、真の害悪を伴うような架空の害悪を新たに増やすなどという大それたことをすべきでない。 (ショーペンハウアー「幸福について」4 橋本文夫訳…

意志の否定

過去記事「ショーペンハウアー6聖者」 http://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cDovL2Jsb2dzLnlhaG9vLmNvLmpwL2N5cW5oOTU3LzE3NTU2NDU4Lmh0bWw-でショーペンハウアー哲学の最重要概念「意志の否定」について次のように書いた。 『総…

個別性の迷妄

ショ-ペンハウアーはくり返しいう。 生れたままの個人のまなざしは、マーヤーのヴェールに曇らされている、と。 この意味は二つある。 1 自分の存在と重要さを盲信するいっぽう、自分以外の存在と重要さを本当には信じていないのが人間の自然状態である。 …

松岡正剛

いつも読ませてもらっているnietzsche_rimbaudさんのブログ 「英文ダウジング翻訳のメモ」http://blogs.yahoo.co.jp/nietzsche_rimbaud/42866934.html にショーペンハウアーに関する記事が紹介されている。 『松岡正剛 千夜千冊 遊蕩篇』のサイト。 http://w…

ショーペンハウアーの幸福論4

他人の目にどう見えるかということで価値のあるなしが決まるような生き方は、惨めな生き方だ (ショーペンハウアー「幸福について」第4章 橋本 文夫訳) 他人の言動に絶えず注意を払っているということは、その人がいかに退屈しているかを示すものだ。 (同…

ショーペンハウアーの幸福論3

年老いた暁には、身は老いても老いることのない労作に青春の力をことごとく打ちこんでしまったということくらい、慰めになるものはない。 (ショーペンハウアー「幸福について」第4章 橋本 文夫訳) あきらかに、ショーペンハウアーは、自分のことをいって…

ショーペンハウアーの幸福論2

われわれ人間の最大の楽しみは、人からたたえられるということだ。 けれどもたたえる人は、あらゆる条件が揃っていても、なるべくたたえたくないのが本音だから、 自分で自分を心からたたえる境地に何とでもして辿りついた人が一番幸福なのだ。 ただ他人に横…

足ることを知る ショーペンハウアーの幸福論

苦痛のない状態にあって、しかも退屈がなければ、大体において地上の幸福を達成したものと見てよい。 それ以外はすべて架空だからだ。 (ショーペンハウアー「幸福について」橋本 文夫訳) 平均人は、「苦痛のない状態」を幸福と感じ続けることができず、じ…

ショーペンハウアー7

本題に入る前に、今日観たDVDの感想を一言。 DVDを観る 「オーメン666」中佳作。 娯楽作品として悪い出来ではないが…リメイク企画にはオリジナルを超えられない構造的問題があるのかもしれない。 さて本題。 「生の無価値にして厭うべきことを説きなが…

無明

『(盲目の)意志』は無明だ! ショーペンハウアーを読んで、初めて釈尊の説く無明が分かった気がした。 自分にとっては、興奮する発見だった。 それまで、仏教の解説本を読んでも納得できないでいたのだ。 数十年後、次の文章をネットで見た。 それが、とっ…

あれか これか

およそ自由と呼ばれるもののなかで本物の自由があるとすれば、それは必ず超越的自由でなければならない。 どのようなもっともらしい理由をつけようと、強制的制約を受けた自由などというものは明らかに自由とは別のものである。 したがって、自由は現象とは…

ショーペンハウアー6聖者

聖者の境地は、聖者にしか分からない。 と言ってしまえば、話はここで終わってしまう。 ショーペンハウアーの力を借り、無理に想像して書いてみよう。本気にしないように。 真に根源からの反省と批判がはっきりと現われるのは、肯定された意志の自己否定とい…

ショーペンハウアー5「野心家」の最終形

今日は、なにも思いつかない。 ので、またショーペンハウアーに戻ります。 「野心家」の最終形について。 野心家は、個別性の迷妄を打ち破るにしたがって「正義の人」となることはすでに述べた。 この傾向が大詰めまで進むといかなることになるであろうか。 …

ショーペンハウアー4

さて、2番目の野心家について。 まず悪人から。 サドの小説のなかに、太い単純な輪郭で描かれる主人公たちは、正にここでいう悪人にあたる。 彼らが個別性の迷妄を毫も疑わず、自分と自分以外の存在者の間の完全な区別に固執するさまは幻想的でさえある。 …