哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

万徳を一瞬の怒りが消滅させる。怒る人は、悪をなす

ショーペンハウアー「みずから考えること」心理学的覚え書 石井 正訳)より引用します。
 
気の早い人たちは、必ず、自分が怒りはじめそうになったら、すぐさま、その事件を一時忘却するように、おのれにうち克つことを努めなければなりません。というのは、もしも、一時間後になってから、この事件に立ちかえってみるならば、彼らにとって、この事件は、もはや以前のように悪いものとは思われず、やがて、おそらくは、なんら意味のないことと見られるでしょうから。
(引用終)



 わかっちゃいるけど止められないわけで、気づいたときはすでに怒っていることも少なくないが、勇気を出して気づいた時点ですぐ怒りをフェードアウトすべきだ。
振り上げた拳をゆっくり下すような見栄えのしない始末になるが、そのまま怒り続けるより、はるかにましなのだ。
怒りの毒はすさまじくて、一生かかって積んだ功徳を一瞬で破壊するとブッダによって説かれているのだから。



ブッダの真理のことば ダンマパダ222 中村 元訳)より引用
走る車をおさえるようにむらむらと起る怒りをおさえる人──かれをわれは〈御者〉とよぶ。
他の人はただ手綱を手にしているだけである。
(〈御者〉とよぶにはふさわしくない。)

(引用終)


 むらむらと起る怒りをおさえられない人、自分の感情に引きずりまわされる人は意気地なしだ。
そういう意気地なし共が、図々しくも、世間の常識として「怒るべきときに怒らない人間は意気地なしだ」という。
怒りの必要と効用を信じる世間の常識は正しくない。
たった1度の怒りは、それまで積みあげた万徳をも一瞬で根こそぎ破壊する猛毒を持っているからだ。




ブッダの感興のことば第20章11,12,15,18,19)より引用
他人が怒ったのを知って、それについて自ら静かにしているならば、その人は、自分と他人と両者のためになることを行っているのである。

自分と他人と両者のためになることを行っている人を、「弱い奴だ」と愚人は考える。──ことわりを省察することもなく。

集会の中でも、また相互にも、怒ってことばを発してはならない。
怒りに襲われた人は、自分の利益をさとらないのである。

怒った人に対して怒り返す人は、悪をなすことになるのである。
怒った人に対して怒らないならば、勝ち難い戦にも勝つことになるであろう。

怒らないことによって怒りにうち勝て。
善いことによって悪いことにうち勝て。
わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。
真実によって虚言にうち勝て。

(引用終)

気づきのポイントを、理不尽な相手から、そんな相手に懐く自分の怒りの方にずらすのが〈御者〉のテクニックだとおもう。

憎い相手を目の前にしては、なし難いことだが…なんとか出来る様になる必要がある。




(過去記事統合再録)