権力者は自分への国民の批判意識を逸らすため、わざと外国とのトラブルをでっちあげることがある。
これと同じ不誠実なごまかしを、たいていの人間は自分で自分にたいして行っている。
昔外界に飽きてちょっと自分の内面を覗いてみたものの、その底なしの暗闇にぞっとして懲り、以来意識を二度と本気で内面に向けないために、自作自演で外界に架空の問題事を次々でっちあげ意識を外界に釘付けにしている。
昔外界に飽きてちょっと自分の内面を覗いてみたものの、その底なしの暗闇にぞっとして懲り、以来意識を二度と本気で内面に向けないために、自作自演で外界に架空の問題事を次々でっちあげ意識を外界に釘付けにしている。
そうすることが、幸福に生きるための秘訣だと堅く強く信じてしまっているようだ。
この人間の浅略な共同営為は、文化と呼ばれている。
通常外に向かって使っている意識のサーチライトの向きを180度変えて、自分の心の内面を本気で照らし観る行為は、最初ぞっとするほど恐ろしい。
心の内面をごまかさず誠実に冷静に観察するには、普通の勇気以上の蛮勇が必要だとわかる。
大多数の人間は、この種の蛮勇を持っていないから背に腹はかえられず、架空の外界トラブルに意識を忙殺させるという不誠実なごまかしをせずにいられない。
しかし問題は、
でっちあげたトラブルが架空でも、それにより真の実害が確実に発生する
ことだ。外国とのトラブルをでっちあげて、実際に戦争になるように。
ショーペンハウアーは言っている。
この世には真の害悪があり過ぎるほどあるのだから、真の害悪を伴うような架空の害悪を新たに増やすなどという大それたことをすべきでない。
(ショーペンハウアー「幸福について」4 橋本文夫訳)より
人間は、いじめも戦争もなくしたいという口先のことばと、実際の行動が完全に矛盾している。
現実世界に害悪を限りなく増大させてでも、それでもかまわないから、真の自分を内照する事態だけは絶対避けようと決意しているからだ。
(過去記事増補編集再録)