昔、弟と話したことの断片が浮かんできた。
「…主観と客観の問題が最後まで残る」
弟「主観と客観ってなんやったっけ?」
「自分と自分以外のもの」
「昔、カントが純粋理性批判という本を書いて、神の存在は認識することも証明することもできないと言った。
その後ニーチェという男が出てきて、認識することも証明することもできないものは皆インチキだと言ったんだ。
カントの言ったことを一歩進めたわけだな。
ニーチェはそれもないと言った。
それもなかったら大変だぜ!」
弟は頷いた。
悟りなんてないと思っている人は多い。
それは、ニーチェのように思考を突き詰めてのニヒリズムじゃなくて、周りの空気を読んで気楽に調子合わしてるだけだけどね。
それでも悟りを言葉で理解できるとおもってる人より、悟りなんてないとおもってる人のほうが、まだしも健康だとおもう。
なんであれ言葉で理解できることなら、それは既成概念の工夫だからね。
既成概念の工夫なら悟りとは関係ない。
それでも悟りを言葉で理解できるとおもってる人より、悟りなんてないとおもってる人のほうが、まだしも健康だとおもう。
なんであれ言葉で理解できることなら、それは既成概念の工夫だからね。
既成概念の工夫なら悟りとは関係ない。