哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

楽しみを求めるだけの識別能力

 親鸞教行信証で『大智度論』を引用して言っている。

「真実の智慧に依る」とは、その智慧はよく善悪を比較し区別するが、
識別はただつねに楽しみを求めるだけで、肝心の正しい道にはいっていかない
からである。

石田瑞麿 現代語訳)

[原文]
「依智」とは、智はよく善悪を籌量し分別す。
識は常に楽を求む、正要に入らず

[以上。強調はわたしです]






 ブッダは、繰り返し、教えている。

 

識は無常にして苦である。

識を厭い離るれば貪りを離れる。

貪りを離るれば解脱する。


と。

なぜか。

 

 

 

 

 

識別はどんなに輝かしいものでも、

ただひたすらに生きんとする
盲目の意志


の召使だ。

盲目の生きんとする意志は、識別が自分の召使である限り、ほんの気まぐれで、輝く美しさも、底なしの醜さも共に惜しみなく与える。

 

盲目の意志の奴婢である限り、彼(彼女)の識別を輝かせて、ノーベル賞をいくつも獲る知的巨人にもし世界一の大資産家にもし世界を征服する権力者にもするが、ただそれだけのことだ。

 

 

盲目の意志は、気前がいいわけではなく、そういう

些事

には全く無関心な主人なのだ。

 

 

彼(彼女)は、100年経たず惨めに死ぬだけの、頭のいい獣に過ぎない。

 さあいよいよ死ぬというその瞬間には、望むなら誰でも、それらが確かに些事だったと簡単に気づくことができる(盲目の意志は、もうそれを邪魔しないから)

このタイミングで気づいても完全に手遅れなのだが。














(おまけ)

オーリアンズ。
「ダンス・ウィズ・ミー」

 

 

 

 

 

タコ。
「踊るリッツの夜」

 

 

 

 

 

ジャッキー・デシャノン。
「世界は愛を求めてる」

 


(過去記事増統合補編集再録)