吉本隆明「良寛」
「親鸞の解釈の仕方によりますと人間は具体的に生きているとか死んでいるとかいうところ、つまりその人がその人であるというところでは人間は本質的な存在ではない、というのです。これを現在のいい方でいえば、人間はいつも現に存在するところのものではないということでしょう。現に存在するところのもの、あるいは現にしか存在できないものは、すべて仮の姿で、本質的な人間とはそれらを貫いている何かだと考えたわけです。」(吉本隆明「良寛」)
この、誰でも本来もっていた感じを、早々と忘れてしまうのが平均人だ。
平均人は、現在の環境に適応するだけになってしまう。
この感じをいつまでも大事に抱き続けている者は、この予兆的なものに応答しようとする。
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