『正念相続』は、どうして不可能ではないのか?
もし人生が、泣かないでいられないほど辛いこと悲しいことが、本当に起こるものなら、人生の最重要事項『正念相続』は誰も守れるわけがない。
しかし、この人生は夢、幻のたぐいに他ならない。
そのおかげで、この第一義を達成することが可能になっている。
悟った後の釈尊が、泣いて悲しむ姿を想像できるだろうか?
我々は、悟っていないので、嫌なことが身に降りかかると、泣いたり喚いたりせずにいられない。
正念相続は、毛ひとすじの影だにない。
それでも、釈尊の態度こそ、すべての人間の正しい姿だという事実に変わりはない。
泣いたり喚いたりした後でもいい、そのことをチラッと思い出すだけで、人生はだいぶ違ってくる。
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