哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

他力浄土系 キリスト教

人間とは…酔生夢死するもの

六道輪廻の間には、ともなう人もなかりけり。 (一遍 百利口語) とはどういう意味か。 自分のまわりには恋人やつれあいや我が子や両親や友達や恩師や会社の同僚など、いっぱい「ともなう人」がいるじゃないか。 それなのに、なぜいないといえるのか。 恋人…

「安心できるわけない」という安心

法然上人は、「ああ、今度こそ浄土にいきたいなあ」といつも言っていた。 不安になった弟子が「あなたほどの人がそんな程度では、わたしたちはどうしたらいいんですか」と訊いた。 上人は笑って「ほんとに浄土にいくまでは、この気持ちが消えるわけないさ」 …

一遍

前回のブログ記事の 上根は妻子を帯し、家にありながら著せずして往生す。…下根は万事を捨離して往生す。 の後に 我等は下根のものなれば、一切を捨てずば、定んで臨終に諸事に著して往生をし損すべきなりと思う故に、かくのごとく行ずるなり。よくよく心に…

下根は万事を捨離して往生す

上根は妻子を帯し、家にありながら著せずして往生す。…下根は万事を捨離して往生す。 (一遍 播州法話集) を初めて読んだときはビックリ!した。 後で気づいたが、上根下根の価値が2回ねじれていたのだ。 つまり、一遍以前に伝統的な浄土教学が、上根下根の…

持戒なしの救いはない

釈尊は「戒(かい)あらば則(すなは)ち慧(え)あり。慧あらば則ち戒あり。戒能(よ)く慧を浄(きよ)め、慧能く戒を浄む。…人の手を洗ふに左右相須(さいうあひま)つがごとし。左は能く右を浄め、右は能く左を浄む。此(これ)も亦是(またかく)の如(ごと)し。慧あらば…

方法論「閣抛傍」

それ速(すみや)かに生死を離れんと欲(おも)わば、二種の勝法の中に、しばらく聖道門を閣(さしお)きて、選びて、浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲わば、正・雑二行の中に、しばらく諸(もろもろ)の雑行を抛(なげう)ちて、選びてまさに正行に帰すべし。正行を…

シラ書

生き物はすべて、その同類を愛し、 人間もすべて、自分に近い者を愛する。 すべての生物は類をもって群れ集まり、 人間も自分に似た者と固く結びつく。 狼と子羊とがどうして共存できようか。 罪人と信仰深い人もこれと同じである。 ハイエナと犬はどうして…

旧約 箴言2

あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。 こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。 そして主があなたに報いられる。 ( 新共同訳 旧約 箴言 25章 21、22節) 無知な者を臼(うす)に入れて 穀物と共に杵(きね)でついて…

旧約 箴言

このところずっと絶不調。なにも思いつかない。 で、聖書のことばをいくつか。 明日のことを誇るな。 一日のうちに何が生まれるか知らないのだから。 ( 新共同訳 旧約 箴言 27章 1節) 愛する人の与える傷は忠実さのしるし 憎む人は数多くの接吻を与える…

キリスト教の神

久しぶりに聖書の言葉をいくつか。 わたしが主、ほかにはいない。 光を作り、闇を創造し 平和をもたらし、災いを創造する者。 わたしが主、これらのことをするものである。 (新共同訳 イザヤ書45-6,7より) (追記080720) エホバの証人の方に訊いたとこ…

ヒルティ「幸福論」(戒の功徳)

(ヒルティ幸福論第二部「キリスト教序説」より 草間平作・大和邦太郎訳)仏教徒が戒を守ることの意味を考えるとき、このキリスト教のことばは新鮮に響く。 …祝福は、とりわけ次のような点にあらわれる。すなわち、一切の事情がみたところひとりでにそう成っ…

ヒルティ6

最もすぐれた活動は、他の人たちを助けて真の生活に入らしめることであるが、それはみずから真の生活に達したのちのことである。 それ以前にそうした仕事をしたがるのは危険である。 (ヒルティ幸福論第二部「人生の段階」 草間平作・大和邦太郎訳) 自らの…

ヒルティ5

私が隣人を愛していることを知るのは、その人から侮辱を受けた後でも、その前に劣らず彼を愛している時だけだ。 なぜなら、侮辱を受けてから彼を前より愛さなくなったとしたら、わたしは前に彼を愛していたのでなくて、わたしを愛していたのだということを、…

たんなる受身表現だって?

人は自分の力だけで生きているのではない。それは事実だ。正しい。 しかし、だからといって、それを「大いなるもの(神)に生かされている」と言ってしまっては、もう事実ではない。まったく正しくない。 https://philosophy.blogmura.com/buddhism/ ← にほ…

よくあるタイプの人

自分が聞きたいこと、言ってほしいことを、ただ見透かして言うだけの相手を好きになる。 なんと悲惨なことだろう。 https://philosophy.blogmura.com/buddhism/ ← にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ

血だらけの骨

(釈尊は説かれた) 「……たとえば、飢えた犬に、肉のついていない血だらけの骨を投げ与えたとする。犬はその骨で、飢をみたすことができるであろうか。否、犬は、その骨によって、疲れと悩みとを得るだけである。…… 余の弟子は、官能の楽(欲楽)をこの骨の…

重心が頭にある人形

もし、わたしが、その子が将来殺人狂になることを知りながら子を生んだとするなら、わたしは当然彼の罪に対して責任がなければならない。人間がおかすところの罪を前もって知っておられたとするならば、神が人間を創造することを決意されたとき、神はそれら…

難行道

仏道修行成就を難しくする原因がおよそ五つあるという。 一つには、異教の徒(外道)の相対的な善は、菩薩の法を乱す。 二つには、自分だけのさとりしか考えない聖者(声聞)は、自己の利益にとらわれて、菩薩の慈悲の邪魔になる。 三つには、みずから顧みる…

この上なく大切な筏

(釈尊は)父の王にお話になって、「王。今坐禅を行って、ただ念仏をするのが当然です。どうして、心の念いを離れることと同じようになろうとして、念いのない境地をお求めになるのですか。仏の相好を観想しないで、真実そのものとしての法身をお求めになる…

アメリカ人の自我が神となった宗教

日米関係において、日本が昔も今もアメリカの真意をろくすっぽ読めずに大失敗する根本原因は、日本人がアメリカ人の宗教心にまるで無頓着なところにある。 アメリカには、「アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための一神教」末日聖徒イエス・キリスト…

自分を本当に愛している者

イエスキリストの言葉 「隣人を自分のように愛しなさい」 この教えを本当に実行できるのは、 自分を本当に愛している者だけである。 ※関連過去記事 「おのれの愛しいことを知る者」http://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cDovL2Jsb2d…

終末のビジョン

キリスト教聖書を読んで痛感するのは、終末観の強烈さである。 おれは中学生のころに、できごころで聖書を読みはじめて、気づいたら終末のビジョンにとりつかれた様になっていた。 聖書は、まじめに読む者すべてを終末ビジョンの世界に投げ入れるための、き…

老婆心

ひとのためによくないことをし、また口にもするなら、この世を厭(いと)うしるしはありません。 (親鸞聖人 末燈鈔16 石田瑞麿訳) …わざとしてならないことなどをもし、思ってならないことなどをも思ったりするのは、よくよくこの世を厭う心もなく、この身の…

業縁

…機にうまれつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず、失ともならざる条(じょう)、勿論(もちろん)なり。 (口伝鈔 善悪二業の事より) どんな悪人でも救われる、ということ。 そもそも凡夫の考える善悪など、救いの条件ですらない。まるで関係ないのだ…

聴聞

ただ、仏法は、聴聞にきわまることなり (蓮如上人御一代記聞書193より) 一句一言も、信の上より申せば、人の信用もあり、また、報謝ともなるなり。 (同208より)

不急の事

世人、薄俗にして共に不急の事を諍(あらそ)う。 (仏説無量寿経巻下) 一たび人身を失いつれば、万劫にも復せず。 (教行信証・行 楽邦文類)

三願転入

仏、阿難に告げたまわく、「…あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん、心を至し回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得て不退転に住す。唯五逆と誹謗正法とを除く。」 (真宗聖典 仏説無量寿経巻下 曹魏天竺…

「一枚起請文」後書き

過去記事 http://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cDovL2Jsb2dzLnlhaG9vLmNvLmpwL2N5cW5oOTU3LzI3NzEwNTgwLmh0bWw- で法然上人の「一枚起請文」を手持ちの「佛教聖典」から写した。 家の宗旨は浄土宗なのだが、仏壇の引き出しから「浄…

宝の山

(恵心僧都 一乗要決より引用) 仏法に遇(あ)えりと雖(いえど)も仏意(ぶっち)を了(りょう)せず。若(も)し終(つい)に手を空しくせば、後悔何ぞ追(およ)ばん。(引用終) 宝の山に入って、なにも取れずに帰ってくる人がいるだろうか? (武者小路実篤著「維摩…

恥ずべきこと、恥ずべきでないこと

ただ仏恩の深きことを念(おも)ふて、人倫(じんりん)の嘲(あざけ)りを恥じず。 (親鸞 教行信証) もし人賞翫(しょうがん)すれば、たとひ非道と知るも乃(すなは)ちこれを修行す、もし恭敬讃嘆(くぎょうさんたん)せざれば、これ正道と知るといえどもすてて修せ…