私が隣人を愛していることを知るのは、その人から侮辱を受けた後でも、その前に劣らず彼を愛している時だけだ。
なぜなら、侮辱を受けてから彼を前より愛さなくなったとしたら、わたしは前に彼を愛していたのでなくて、わたしを愛していたのだということを、
(幸福論 ヒルティ 草間平作・大和邦太郎訳より)
老婆心の注意をちょっと。
自分を愛せない人が他者を愛そうとしても、それは無理です。
キリストも「隣人を自分のように愛しなさい」と教えてますから。
侮辱されたからもう知らないというのは、はじめから自分のようには愛していなかったと白状してるわけです。
それからキリスト教の隣人は、隣近所の人という意味ではありません。
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