哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

この上なく大切な筏


釈尊は)父の王にお話になって、「王。今坐禅を行って、ただ念仏をするのが当然です。どうして、心の念いを離れることと同じようになろうとして、念いのない境地をお求めになるのですか。仏の相好を観想しないで、真実そのものとしての法身をお求めになるのですか。文字を離れて、さとりをお求めになるのですか」と仰せられた。
親鸞聖人 教行信証・行巻『五会法事讃』引文 石田瑞麿訳)

<原文読み下し文>
父の王にいいてのたまはく、「王いま座禅してただまさに念仏すべし」と。あに離念に同じて無念を求めんや。生を離れて無生を求めんや。相好を離れて法身を求めんや。文を離れて解脱を求めんや。

念を離れて無念は求められず、生を離れて無生は求められず、相好を離れて法身は知られず、教説を離れて解脱は得られない道理が示されてある

口語訳教行信証付領解 金子大栄著)



向こう岸に渡り終えたら棄てるべき(いかだ)も、いまだ渡れないでこちら岸にいる者にとっては、この上なく大切にされるべき事情があるということだろうか(このような分別も無用とすべきか)。