ひとのためによくないことをし、また口にもするなら、この世を
(親鸞聖人 末燈鈔16 石田瑞麿訳)
…わざとしてならないことなどをもし、思ってならないことなどをも思ったりするのは、よくよくこの世を厭う心もなく、この身の悪を思い知らないためでありますから、自然、念仏しようとする志もなく、また仏のお誓いを信ずる志もありません…
(同19)
はじめて仏のお誓いを聞くようになった人々のなかで、みずからの身や心の悪を思い知って、この身のようではどうして浄土に生まれることができようかと思う人に対してはじめて、人間は煩悩をまとっているのだから、仏はわたしたちの心の善し悪しをとやかく沙汰しないで、お迎えになるのだ、と説かれるのであります。…
浄土に生まれようと願う信心は、釈迦と弥陀のお勧めによって起こる
、と記されていますから、真実の心の起こらなかった以前は悪に染まっていても、その心が起こった以上は、どうして昔の心のままでいることができましょうか。
(同20)
【原文】
…ひとのためにあしきことをもし、また、いいもせんは、世をいとうしるしもなし。
(末燈鈔16)
…わざとすまじきことどもをもし、おもうまじきことどもをもおもいなんどせば、よくよく、この世のいとわしからず、身のわるきことをもおもいもしらぬにてそうらえば、念仏にこころざしもなく、仏の御ちかいにもこころざしのおわしまさぬ…
(同19)
はじめて仏のちかいをききはじむるひとびとの、わが身のわるく、こころのわるきをおもいしりて、この身のようにてはいかが往生せんずるというひとにこそ、煩悩具したる身なれば、わがこころのよしあしをば沙汰せず、むかえたまうぞとはもうしそうらえ。…
往生の信心は、釈迦・弥陀の御すすめによりておこるとこそみえそうらえば、さりとも、まことのこころおこらせたまいなんには、いかでかむかしの御こころのままにてはそうろうべき。
(同20)