「……たとえば、飢えた犬に、肉のついていない血だらけの骨を投げ与えたとする。犬はその骨で、飢をみたすことができるであろうか。否、犬は、その骨によって、疲れと悩みとを得るだけである。……
余の弟子は、官能の楽(欲楽)をこの骨のたとえの
欲楽は夢の如く、
(現代語仏教聖典 第10章「教化の種々相」第3節より)
おれは、いくら教えを聴いても、如実に知ることのない「半わかり」状態から抜けられない。
欲楽は夢だと知りつつ、目の前に血だらけの骨を投げられるたびに、飛びついてはしゃぶってしまう犬のような人生から抜けられない。