終末のビジョン
キリスト教聖書を読んで痛感するのは、終末観の強烈さである。
おれは中学生のころに、できごころで聖書を読みはじめて、気づいたら終末のビジョンにとりつかれた様になっていた。
聖書は、まじめに読む者すべてを終末ビジョンの世界に投げ入れるための、きわめて綿密な編集がなされている。
(途中はすっ飛ばして、結論をいうと)
これは、「ひとは死んでも自分は死なない」と信じて酷睡している多くの人々を覚醒に導くための、次善の策になっているとおれは思う。
(最善策は初善・中善・終善の釈尊のやり方だが、酷睡者には効きが遅い。終末論は著効性だが副作用が強い)
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