哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

「安心できるわけない」という安心


 法然上人は、「ああ、今度こそ浄土にいきたいなあ」といつも言っていた。
不安になった弟子が「あなたほどの人がそんな程度では、わたしたちはどうしたらいいんですか」と訊いた。
上人は笑って「ほんとに浄土にいくまでは、この気持ちが消えるわけないさ」

(一言芳談117 試訳)
《原文》
つねの御詞に云、あはれこの度しおほせばやなと、その時乗願房申さく、上人だにも斯樣に不定げなる仰せの候はんには、ましてその余の人はいかが候ふべきと。その時上人うちわらひて、のたまはく、蓮台にのらんまでは、いかでかこの思ひはたえ候ふべき、云々。

上人うちわらひて」というところがすばらしい。
(以下090430追記)
安心できないことに悩む弟子と、
(安心できないから良いんだと気づけよおまえ)と破顔する上人。
法然上人の境涯が弟子のとはまるっきり違うことがわかる。
(以上)
この話をふまえると、次の一見矛盾した法然上人の教えが理解できるとおもいます。


往生を期せん人は決定の信をとりて、しかもあひはげむべきなり。
(同131より)

一念十念にて往生すといへばとて、念仏を疎相に申ば、信が行をさまたぐるなり。念々不捨者といへばとて、一念十念を不定におもふは、行が信を妨也。
信をば一念に生と取て、行をば一形はげむべし。

(同26より)

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