哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

方法論「閣抛傍」

それ(すみや)かに生死を離れんと(おも)わば、二種の勝法の中に、しばらく聖道門を(さしお)きて、選びて、浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲わば、正・雑二行の中に、しばらく(もろもろ)の雑行を(なげう)ちて、選びてまさに正行に帰すべし。正行を修せんと欲わば、正・助二業の中に、なお助業を(かたは)らにして、選びてまさに正定(しょうぢょう)(もっぱ)らにすべし。正定の業とは、即ちこれ佛の名を称するなり。
(法然 『選択本願念仏集』三選の文)


「最尊の法華経をも閣抛傍でかたづけた」と後に日蓮が槍玉にあげた、『選択本願念仏集』の結論部分です。

その日蓮も、法然が創案した方法論「閣抛傍」は事実上採用しています。

ナンマイダーがナンミョーホーレンゲーキョーに換わっているが、構造が同じだからです。

道元も閣抛傍しています。ただ結論は只管坐禅でした。


イムリミットのある人生では、方法論「閣抛傍」が避けられないだけでなく、その作業をいかに上手くやるかが重要です。


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