哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

重心が頭にある人形


もし、わたしが、その子が将来殺人狂になることを知りながら子を生んだとするなら、わたしは当然彼の罪に対して責任がなければならない。人間がおかすところの罪を前もって知っておられたとするならば、神が人間を創造することを決意されたとき、神はそれらの罪のすべての結果に、明らかに、責任がある。普通のキリスト教徒の議論は、この世の苦痛は、罪のきよめであるから、善いことであるというのである。もちろん、この議論はサディズムの言いわけであるにすぎないし、とにかく、極めて薄弱な議論である。…
この苦痛の多い世界で、万事このうえなくうまく行っていると信じているひとは、彼の倫理的な価値をそこなわずにおることはできない。それは、常に、苦痛とみじめさとに言いわけをしなければならないからである。

バートランド・ラッセル「宗教は文明に有益な貢献をなしたか」 大竹 勝訳)


全知全能の善なる創造神を持ち出すのは、重心が頭にある人形を立てようとする試みに似ている、とショーペンハウアーは言っている(何度立ててもひっくり返ってしまう)。