哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

ブッダは無明→行 。ショーペンハウアーは(無明⇔行)

 

《仏教哲学》ブッダの因縁法則 スマナサーラ長老の初期仏教Q&A|ブッダの智慧で答えます(一問一答) - YouTube

 

 

〔感想〕

十二因縁とは、

順に

無明(無知)が根本原因となり

行が生じ、

行によって識が生じる云々。

逆に

無明の滅により諸行が滅する。
諸行の滅により識が滅する。

(以下、

識の滅により名色が滅する。
名色の滅により六処が滅する。
六処の滅により触が滅する。
触の滅により受が滅する。
受の滅により愛が滅する。
愛の滅により取が滅する。
取の滅により有が滅する。
有の滅により生が滅する。
生の滅により老死、そして
苦しみが滅する。

このようにひたすらなる苦の集まりが
滅するのである)

 

十二因縁の

原因と結果は

独立してあるのではなく、

 

因果一体

 

である。

 

たとえば

無明が滅すれば

その1秒後に

行が滅し、

さらに1秒後に識が滅し、

さらに1秒後に名色が滅し、

さらに1秒後に六処が滅し、

云々。だから

老死等の苦しみが滅するのは

十数秒後になります。

なんて話ではないということ。

 

無明→行→…

ではなく

(無明⇔行⇔…)

であるということ。

 

 

 

ショーペンハウアー

(無明⇔行)

を、

 

ひたすらに生きんとする盲目の意志

 

ととらえた。

 

 

この

(無明⇔行)

をさらに原因と結果で

無明→行

の2支分に分析するなどという偉業は、

ブッダ以外にできることではない。

 

我々はブッダに教えられてなお、

本当の意味で理解が及ばない。

 

 

 

月さす指は月ではない。

だから

無明という単語の説明=無明の説明

ではない。

 

無明とは、無明だけ単独ではありえず、他の11支分と因果一体だから、人間にとって単なる無知ではなく、もっとはるかに積極的な機能を持ってる。
 
無明の助けがなければ人間はいまだに言葉さえ喋れないだろう。
人間は誰でも当たり前に、時空という極めて高度なセンスを持ってる。これも無明の仕事だ。
無明こそ人間を今現にあるように育て上げ、今も生かし続けてるエネルギーだ。

 

「無明は単純に不知 Nichtwissen の意である」(『原始仏教の実践哲学』、昭和二年、『和辻全集』第五巻 234 ページ)であって、それ以上の何ものでもないのだ。
という主張が無明に関する学界の絶対権威になってるらしい。

これは、人間の直面している事実の話を、学者がたんなる語源話で上書きしてしまったんだとおもう。

月の研究者が、月さす指の説明ばかりしても不毛だ。