親鸞は教行信証で『大智度論』を引用して言っている。
「真実の智慧に依る」とは、その智慧はよく善悪を比較し区別するが、
識別はただつねに楽しみを求めるだけで、肝心の正しい道にはいっていかない
からである。
(石田瑞麿 現代語訳)
[原文]
「依智」とは、智はよく善悪を籌量し分別す。
識は常に楽を求む、正要に入らず
[以上。強調はわたしです]
識別はどんなに輝かしいものでも、
ただひたすらに生きんとする
盲目の意志
の召使だ。
盲目の意志は、識別が自分の召使である限り、ほんの気まぐれで、輝く美しさも、底なしの醜さも共に惜しみなく与える。
気前がいいわけではなく、そういう
些事
には全く無関心な主人なのだ。
さあいよいよ死ぬというその瞬間には、望むなら誰でも、それらが確かに些事だったと気づくことができる。
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(過去記事増補編集再録)