哲学日記

存在の意味について、日々思いついたことを書き綴ったものです。 このテーマに興味のある方だけ見てください。 (とはいえ、途中から懐かしいロック、日々雑感等の増量剤をまぜてふやけた味になってます)

楽しみを求めるだけに使われる識別能力

 親鸞教行信証で『大智度論』を引用して言っている。

「真実の智慧に依る」とは、その智慧はよく善悪を比較し区別するが、
識別はただつねに楽しみを求めるだけで、肝心の正しい道にはいっていかない

からである。

石田瑞麿 現代語訳)

[原文]
「依智」とは、智はよく善悪を籌量し分別す。
識は常に楽を求む、正要に入らず

[以上。強調はわたしです]





 識別はどんなに輝かしいものでも、

ただひたすらに生きんとする
盲目の意志


の召使だ。

盲目の意志は、識別が自分の召使である限り、ほんの気まぐれで、輝く美しさも、底なしの醜さも共に惜しみなく与える。

気前がいいわけではなく、そういう

些事

には全く無関心な主人なのだ。






 さあいよいよ死ぬというその瞬間には、望むなら誰でも、それらが確かに些事だったと気づくことができる。









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(過去記事増補編集再録)